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「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp
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Index 
□ 「2020後」にむけて 
  立憲デモクラシー(議論による統治)か、立憲的独裁か
  〜国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへ
 <第九回大会 基調> 

●「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」?  
右肩下がりの時代の民主主義とは 
●「民主主義の死は選挙によってもたらされる」? 
  分断を深める選挙ではなく、課題を共有する場としての選挙へ(略)  
● 「失われた30年」? 平成デモクラシーの総括とは(略)
● 消費者民主主義・依存と分配の破局に備える 
  「2020後」を生き抜く自治の当事者性を

□第九回大会のご案内 ほか

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<第九回大会 基調> 
2020後にむけて 
立憲デモクラシー(議論による統治)か、立憲的独裁か
〜国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへ
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【「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」?  
 右肩下がりの時代の民主主義とは】

 2020後―いよいよ本格化する人口減少時代に何よりも問われるのは、右肩下がりの時代の民主主義―合意形成のあり方だ。
 人口減少時代には、これまでの拡大基調から縮小・減退基調への転換が問われることは、言うまでもない。「あれも、これも」から「あれか、これか」、「何をあきらめるか」を決めると言われる所以だ。問題は、この転換を経済合理性や効率、選択と集中などの「市場の論理」「行財政改革の論理」で行うのか、それとも「民主主義の論理」「自治の論理」で行うのか、だ。
 「市場の論理」「行財政改革の論理」では「何を切るか」ということになる。これは容易に奪い合いと分断に転じうる議論だ。そうではなく、「何を守るために、何をあきらめるのか」「絶対に譲れないものは何か」「何を守るためには負担増という選択肢も選ぶのか」などの議論を通じて合意形成をはかるのか。どちらの道を歩むかによって、人口減少時代の私たちの暮らしや地域のあり方は大きく違ってくるはずだ。

 「何を切るか」を効率的に決めるのなら、選挙で勝ったほうに決定をお任せ≠キる多数決民主主義でいいだろう。立場や利害の違いも「数の力」で決着をつければよい。多数決民主主義では「民意は一枚岩だ」とされ、「選挙で勝てば一枚岩の民意を代表するのだから、後は何を決めてもいい、それを推し進めるのが民主主義だ」ということになる。選挙は、意見や立場の違いに数で決着をつけ、多数派に白紙委任する場にほかならなくなる。このような民主主義を「立憲的独裁」と呼ぼう。

 その対極にあるのは、「民意は多元的だ」という前提から出発して、多元的で多様な民意を議論を通じてまとめ上げていく民主主義だ。「何を守るために、何をあきらめるのか」「絶対に譲れないものは何か」「何を守るためには負担増という選択肢も選ぶのか」といった議論は、多数決だけでは決められない複雑で手間のかかるものだ。だからこそ、そのプロセスは選挙に限定されないし、その全体をより透明で開かれたものへ、より応答性と説明責任を伴うものへと、不断に「作りこんでいく」ことが求められる。民主主義とは合意形成のプロセスにほかならない。

 「民主主義は多数決だ」という以上の民主主義観しか持っていなかったとすれば、ここから右肩下がりの時代の立憲的独裁へと向かうのか、それとも多様な民意を前提とした合意形成プロセスとしての立憲民主主義へ向かうのか。「安倍政治」たたんでいくプロセスは、そのせめぎあいの渦中にあるということでもある。

(中略)

【消費者民主主義・依存と分配の破局に備える 
 「2020後」を生き抜く自治の当事者性を】

「2020後」という問題設定は、依存と分配の民主主義、消費者民主主義の破局にどう備えるか、ということを意味している。そこでなによりも問われるのは、当事者性にほかならない。
「2020後」は、ある日突然訪れる危機ではない。すでに課題は見えている。その「不都合な真実」に向き合って、どう準備するかが問われている。それを当事者性で考える自治の力が決定的なのだ。それが抜ければ「危機だから『決められる政治』だ」という立憲独裁になる。人口減少→厳しい決断が迫られるという発想は、「痛みを伴う改革」から通底したものだ。

「住民自治を人工的(政策的)に涵養することができるのか、という疑問が生じるかもしれない。本書はこの問いに対して、あえて『可能だ』と回答しておきたい。〜略〜これらが住民自治を涵養するうえでの決定的に重要な要素である。逆に、こうした住民自治の基盤形成が、近い将来に予想される人口減少の本格化までに間に合うのであれば、私たちはパニックに陥る必要はない。『成長型都市』から『成熟型都市』への歴史的転換期を、トップダウンではなく、ボトムアップで乗り切っていく力量が、都市の側に備わるからである」(諸富徹「人口減少時代の都市」中公新書)

 「2020後」を生き抜くこうした住民自治を涵養するうえで、もっとも重要なのは「人」だ。
 消費者民主主義では、自分の人生は自分がオーナーだ≠ニいう当事者意識は生まれない。依存と分配では、自分自身のことさえ「立場」や「肩書き」でしか語れない。それは「開票結果を見て、自分が多数派だったと分かったら、なんだか安心しました」という平成生まれの若者にも受け継がれていく。
 一方で、平成は右肩上がりの終身雇用―肩書き―が当たり前ではなくなった時代でもある。いろいろな困難を伴いつつも、転職や移住などが珍しくなくなるなかで、「少なくとも自分の人生は自分がオーナーだ」という感覚も生まれてきた。肩書きや立場とは違うオーナーシップ、すなわち当事者性の感覚だ。
 そこから、権限や立場ではなく一市民としてこう思うということが提起され、共有され、その相互関係が形成されていく。異質でバラバラで、生まれながらには何も共有していない個人の集まりだからこそ、同質性や同調性を求めるのではない、違いを理解しあったうえでの共感や共有という関係性が分かるようになる。イメージ的に言うとタテの関係ではなくヨコの、なおかつ一方向ではなく多方向のフラットな関係だ。そうした場づくりができるかどうかが意識されるようになるからこそ、フォロワーシップとかファシリテーションという概念も実践的に体感されるようになる。

 「課題を共有し、そこからさらに目的や方向を共有するというふうに関係性を深めていく、その人間関係や社会関係を整理したり、そのための環境を整えることがリーダーシップだと。そういうことが選挙にかかわるところでも、いわゆる市民が主体となった『共闘』という形ででてきている。
 選挙もこうしたリーダーシップ―フォロワーシップが回りだすようになり、そこで土俵が作られて候補が選定されると、勝てるようになるわけです」(戸田代表 475号)

 「自分が課題ないしは目標だと思い、かつ自分ひとりではできないことを、誰かと共有したときに『公共』が生まれるのであって、地域だから、家族だから、仲間だからといってアプリオリに課題を共有できるわけではない」「地域に住んでいるから地域の公共を担いなさい、とは言えない。それでは強制労働です。課題に対する共感、言い換えると『ほっとけない』という気持ちがあることが必要で、それは地域に発生するのではなく、地域にいる人びとに対して発生していて、その発生が継続的多面的になって『このまち、好きだ』ということになるわけです」土山希美枝・龍谷大学教授 「日本再生」471号)

 「公共性とは、閉鎖性と同質性を求めない共同性、排除と同化に抗する連帯である」(齊藤純一「公共性」 岩波書店)
 課題の共有や共感、そこから他者とつながることで生まれる自己有用感や政治的有用感、その持続性や広がり。共有地≠耕すとはそういうことだろう。「2020後」を生き抜く自治の当事者性を。その一歩として、2019年統一地方選、参院選をはじめとする各選挙を準備しよう。

(「日本再生」476号一面より)
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「がんばろう、日本!」国民協議会 第九回大会
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「2020後」にむけて 
立憲デモクラシー(議論による統治)か、立憲的独裁か
〜国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへ

日時  2019年1月6日(日)1300から1700
場所  TKP市ヶ谷カンファレンスセンター
    https://www.kashikaigishitsu.net/facilitys/cc-ichigaya/access/
参加費 2000円

【第一部 講演(問題提起)】
吉田徹・北海道大学教授 (民主主義のゆらぎと課題)
諸富徹・京都大学教授  (人口減少時代の都市経営と住民自治)

【第二部 パネルディスカッション】
吉田先生 諸富先生 
松本武洋・和光市長 廣瀬克哉・法政大学教授 山本龍彦・慶應大学教授

講演を受けて、山本先生(AIと憲法)、廣瀬先生(2019地方選の構え方)、松本市長(分権時代の国―地方関係/市長会の問題提起など)から「民主主義を深める」ための課題、視点の提起。それらを踏まえての討議。 
全体として、「国民主権で統治機構を作りこんでいく」という感覚と、そのステップとして、2019年統一地方選、参院選(場合によれば憲法国民投票)を構えていくこと。またそれを通じて、2020後―宴の後≠生き抜く自治力を涵養していくという方向性を共有できるものにしたいと思います。

*「日本再生」475号(12/1)、「京都・囲む会」での戸田代表の提起もご参照。

(終了後に懇親会 事務所↓(徒歩5分)へ移動  1730くらいから 参加費1500円)
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp/map001.html
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外交・安全保障シンポジウム
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米中「戦略的競争」関係と東アジア・日本
〜「自国第一主義」の広がり、新たな国際協調の再構築は可能か

日時 2019年4月14日(日) 1300から1700
場所 TKP飯田橋ビジネスセンター 3階 ホール3A
   (JR「飯田橋」東口 徒歩3分)
参加費 2000円

【問題提起とパネルディカッション】
中西寛・京都大学教授  川島真・東京大学教授
大庭三枝・東京理科大学教授  佐橋亮・神奈川大学教授  ほか 

【趣旨】
「自国第一主義」を掲げるトランプ政権、「一帯一路」「中国製造2025」などの挑戦的な目標を掲げる習近平政権。米中関係は「新冷戦」とも称される状態です。ただし、米ソ冷戦と大きく違うことは、今や米中は貿易はもとより金融、ハイテク技術まで相互の依存関係を深めていることです。対立をエスカレートさせる一方で、決定的になる前に「寸止め」する「適度な間合い」を探るための、海図のない<vロセスともいえるでしょう。
こうした米中の「戦略的競争」関係が東アジアにもたらす波乱≠ノ、どう向き合うか。そのなかから、APECやASEANなどの資産≠元に、新たな東アジアの国際協調を構築できるか。
また、米中の「戦略的競争」関係がもたらす波乱≠ノ対処するために、日本(外交、内政)にどういうことが問われるのか。それは、「2020後」の課題にも通じるものがあるのではないか。
こうした観点から議論をすすめたいと思います。
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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp