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「がんばろう、日本!」国民協議会
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Index 
□ 「2020後」にむけて、立憲民主主義を深めていくために
  〜民主主義のイノベーションと自治の当事者性の涵養

●「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」? 
  多数決民主主義の白紙委任か、立憲民主主義への深化か
●「民主主義の死は選挙によってもたらされる」?
  分断統治ではなく、課題を共有した連帯を
● 人口減少時代の民主主義―住民自治の当事者性を涵養する 
統一地方選をどう構えるか

□第九回大会のご案内 ほか

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「2020後」にむけて、立憲民主主義を深めていくために
〜民主主義のイノベーションと自治の当事者性の涵養
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【「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」? 
多数決民主主義の白紙委任か、立憲民主主義への深化か】

 与党理事(平沢勝栄議員)が「議論したらきりがない。いくらでも問題点が出てくる」という入管法改正が、与党の強行採決によって衆院で可決された。問題点を議論するのが国会のはずだが、「中身は後から決める」という白紙委任、すでに一二八万人いる外国人労働者の現状に関するデータもデタラメ、野党の追及で開示するも「コピー不可、書き写しのみ」(国会に開示されたデータは国民のものではないか)など、これまで繰り返されてきた強行採決に比べても酷い。
 衆議院の委員会審議時間も、安保法制(2015)116時間、TPP関連法(2016)70時間、データがデタラメだった働き方改革(2018)33時間に比しても、わずか17時間という異例の短時間で、政府・与党側の「審議しない」姿勢はあからさまだ。
 衆院通過を巡っては、大島衆院議長が与党の国対委員長に対して、来年4月予定の法施行の前に、関連政省令が整った段階で衆院法務委員会での質疑を求めるという、異例の議長あっせんを行った。与党の議事強行に危機感を持ったとされるが、「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」という政府・与党の姿勢は、ますます強まっている。

 民主主義は多数決だ、という以上の民主主義観を持っていなければ、「安倍政治」の六年間は、「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」という立憲的独裁への白紙委任を進めてきた六年間ということになる。他方で「安倍政治」の六年間は、「民主主義は選挙だけではない」→「民主主義は合意形成のプロセスだ」という民主主義観へ転換する主体的な条件を準備してきたともいえる。言い換えれば、「民主主義は多数決だ」という民主主義観しか持っていなかったところから、多数決民主主義を通じて立憲的独裁への白紙委任に向かうのか、それとも多様な民意を前提とした合意形成プロセスとしての立憲民主主義へ向かうのか、「安倍政治」のたたみ方は、そのせめぎあいの渦中にあるということだ。

 たとえば以下で述べられているような民主主義の「設計思想」は、多数決民主主義観では「教科書」の話にしかならないだろう。しかし「民主主義は合意形成のプロセスだ」という民主主義観が腑に落ちるようになると、「国民主権で統治機構を作りこんでいく」うえでの重要な論点、問題提起として受けとめられるようになるのではないか。

 「投票重視の点で見ると、その反対側にあるのが『投票以外の要素もあるんだ』という考え方で、立憲主義はその例です。議会で多数を得ても、それを拒絶する憲法裁判所などの制度が整えられている。選挙で選ばれたわけではない人が政策決定に強くかかわるという面では、ある種のエリート主義の面を持っています。一方で、多数決だけでは侵害し得ない領域をしっかりと確保することによって、少数者の保護が可能になる。『憲法裁判所で否決されるような法案はそもそもつくらない』となって、議会の好き勝手な活動を抑止することにもなる」(古賀光生・中央大学准教授
 https://globe.asahi.com/article/11882947)

 「選挙は、小選挙区制であれ比例代表制であれ、どこかで意見集約をしなければなりません。ヨーロッパ大陸型の比例代表制は、投票した後で様々な意見を議会の場に出して、交渉して多数意見を練り上げていきます。逆に、選挙をするまえに意見を集約して投票にかけるのが、イギリスに見られる小選挙区制です。ただ、イギリスのように歴史に厚みがあり、明文化されていないルールも尊重するシステムが確立されていればいいのですが、同じ小選挙区制を新興民主主義国で導入すると、『小選挙区で勝てばいいでしょ』『3分の2を取ったら、憲法を変えていいでしょ』『変えたら、憲法裁判所を停止していいでしょ』と、際限なく物事が決められていく。『決められればいい』というポピュリズムの論理に引きずられかねません。もちろん、民主主義の定着度によっても、その国がどのような制度を持っているかによっても、状況は異なります」 (同前)

 「安倍打倒」「反安倍」では、「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」という「安倍政治」の土台は変わらない。多数決民主主義にとどまらない民主主義観への転換、立憲民主主義を深めるために国民主権で統治機構を作りこむプロセス(狭義の「システム」のみならず「政治文化」も含めた)への踏み込み、それらの深まりと広がりの度合いに応じてこそ、「安倍政治」をたたむことができる。
 逆にそれが弱ければ弱いほど、たとえば以下の問題提起のように、民主的な合意形成の基盤は毀損されていくのではないか。

 「このような現状(憲法について共通の土台がないまま議論がかみあわない/引用者)のもとでの改憲は、現行憲法に対する社会のなかの共通感覚がないままに、さらに変わっていくことを意味しますから、日本がどのような社会を目指すのかという理想に対するコンセンサスや正統性が失われてしまう懸念があると思います。
 つまり、大半の人が、『どっちでもいいから好きにやって』という感じで憲法が変わってしまいかねず、憲法の正統性への疑義は残り続けることになるのではないでしょうか。これまでの日本社会は、経済的にそれなりに成功してきたので、憲法に対する疑義や矛盾もうまい具合に覆い隠されてきましたが、『ポスト平成』はどう考えても右下がりの時代になりますから、それらがむき出しになってしまいかねません」(西田亮介「憲法改正には関心なし? 若者たちの事情」WEBRONZA 11/25
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018111300001.html)

 「安倍政治」をどうたたんでいくか。それはポスト平成―2020後の次世代に、どういう民主主義を手渡していくかということでもある。多数決民主主義を超えた立憲民主主義への糸口をつくれるか、むきだしの分断や対立を「数で決着つける」という民主主義か。

【「民主主義の死は選挙によってもたらされる」?
分断統治ではなく、課題を共有した連帯を】
 
 今、世界中で民主主義が危機に直面しているといわれる。全米でベストセラーとなった「民主主義の死に方」(レビツキー/ジブラット 新潮社)のカバーに書かれている「司法を抱き込み、メディアを黙らせ、憲法を変える――。『合法的な独裁化』が世界中で静かに進む」は、こうした状況を端的に示しているといえるだろう。
 著者はインタビューでこう述べている。(読売 11/22)

「――民主主義はどのように『死』に至るのか。
レビツキー氏  現代においては、銃で権力を掌握するのは困難だ。これは良いニュースで、私たちは民主主義は安全だと当然のように思っているが、実はそうではない。民主主義は別の方法で死ぬのだ。怒れる市民には、民主主義的な制度を民主主義に反して使う指導者を選ぶ余地がある。こうした『内部からの死』に対して、民主主義は本質的に脆弱だ」

 「選挙で勝ったのだから、後は何を決めてもいい」という民主主義が、「司法を抱き込み、メディアを黙らせ、憲法を変える」。「民主主義の死」はクーデターや銃によってではなく、選挙によってもたらされる。「怒れる」一票と「どっちでもいいから決めて」は、コインの表裏にほかならない。

 憲法はこうした多数決民主主義の暴走を抑える存在だが、それだけでは頼りない。
「ジブラット氏  合衆国憲法は重要だが、それほど多くのことは書かれていない。我々は憲法と同時に、明文化されていないが数世紀の間に築き上げられた、政治家はいかに振舞うべきかという規範を重要視してきた。我々が『柔らかいガードレール』と呼んでいるもので〜『相互的寛容』〜『自制心』」。

 誰もが一票だからこそ、『柔らかいガードレール』としての規範もまた、「選ばれた人」だけに求められるものではない。一九四八年から五三年まで使われていた中学・高校の社会科教科書には、このような記述がある。「民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。〜中略〜すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である」(「民主主義」西田亮介・編 文部省・著 幻冬舎新書)

 こうした民主主義観―『柔らかいガードレール』をどう継承し、次世代とともに21世紀にふさわしくアップグレードしていくか。それが問われている。民主主義という共有地≠ヘ、耕す人がいなければ簡単に荒れ果て「内部からの死」に至る。「選ばれた人」だけではなく、普通の人たちがそれぞれの力量に応じて耕してはじめて、共有地≠ヘ持続可能になる。民主主義は「内部からの死」に脆弱だが、その崩壊を食い止めるのは「偉大なリーダー」よりも普通の人々の一歩だ。

 残念ながら、消費者民主主義の爛熟で私たちの共有地≠ヘ荒れ果てており、民主主義や憲法についての共通感覚も失われている。このなかで『柔らかいガードレール』を築くことは、世代間や社会階層間の分断を克服していくことでもある。選挙で多数を取ることは大事だが、そのために「敵」を作り分断を煽れば、共有地≠ヘ荒れて『柔らかいガードレール』はさらに脆弱になってしまう。

 アメリカで存在感を増す「反トランプ」の草の根運動に、「インディヴィジブル」という運動がある。「インディヴィジブル」とは、「分割することができない」という意味で、「忠誠の誓い」で唱えられる一文に入っているという。この言葉が政治運動として使われるようになったのは、トランプ政権がアメリカ社会の分断をさらに深刻なものにするとの懸念から。連邦議会の元スタッフ4名が、分断の対義語である「インディヴィジブル」をタイトルにした、草の根活動のハンドブックを作り、ネットで公開、オバマケア見直しを頓挫させる草の根運動の原動力になったと言われている。
 選挙で当選したい議員心理をつかんで、地元の議員にどうアプローチして話を聞いてもらうかなど、書かれていることは特別なことではないという。草の根保守の運動であるティーパーティーとの違いは「彼らがアメリカの分断を望んでいたのとは逆に、我々は共生社会としてのアメリカの再建を目指しているのです」(https://hbol.jp/179848/3)とのことだ。

 分断統治ではなく、課題を共有した連帯を。来年は統一地方選、参院選が予定されているが、各種の「共闘」もこうした土台の上に構築されることが重要だ。
 「安倍官邸の『勝利の方程式』は、低投票率・与党の組織票固め、そして『こんな人たち』というように『賛成・反対』に分断するということです。選挙を通じて意見の対立がさらに深まるようなやり方は、トランプにも通じます。『民主主義は多数決だ』という民主主義観では、意見の違いを多数決で決着つける、ということになる。そのためにむしろ分断を煽る。これでは選挙の結果、選挙前よりも対立が深まることになる。
 そうではなく、有権者の関与によって意見の違いを新たなステージでまとめあげる、ということ。来年の統一地方選は構え方としては、選挙を通じて新しい自治のあり方を生み出すことに挑戦する、ということです。選挙の争点も、対立を明らかにするためではなく、地域の課題を共有するための問題提起ということになる。選挙後にも選挙で提起された問題を解決するための、新しい会話の糸口になるような構え方をしなければならない」(4面京都「囲む会」)。こうした試みは、地域の現場から始まっている。

 政権を争う国政選挙では「勝ち・負け」は避けられないが、「有権者の関与によって意見の違いを新たなステージでまとめあげる」という自治の政治文化が基礎にあっての政権選択なのか、「意見の違いを数で決着つける」という政権選択なのかは、民主主義にとって大きな違いである。

【人口減少時代の民主主義―住民自治の当事者性を涵養する 
 統一地方選をどう構えるか】

 「2020後」という問題設定は、これまでは漠然とした不安だった人口減少社会の到来に向き合わざるをえないなかで、その当事者性をどう準備できるのかということにほかならない。人口減少時代は突然やってくる危機ではなく予見しうる問題であり、だからこそ「あれか、これか」を自分たちで決める自治の当事者性を涵養できれば、チャンスに転じることもできる。

 自治の当事者性を涵養できなければ、「あれか、これか」をトップダウンで決める、そこに白紙委任することになる。「その先」をいささかグロテスクに描けば、映画「十年」のなかの、生産性の低い高齢者に安楽死を推奨する国の事業とそれに身を委ねる高齢者、ということになろうか。民主主義と同様に当事者性も、不断に涵養し続けなければ「内部からの死」に脆弱だ。

 人口減少時代に直面する課題は多数あり、どれも優先順位の高い重要な課題だが、何よりも問われるのは、課題を共有し向き合うための当事者性の涵養にほかならない。来年の統一地方選をはじめ各種の選挙―とりわけ地方選挙では、こうした当事者性の涵養にどう結びつけられるかが最重要の課題だろう。
 人口減少時代にはこれまでの「拡大」基調から「縮小・縮退」基調への転換が不可欠だとされる。そのとおりであるが、問題はその転換を経済効率や合理性、選択と集中といった市場の論理、行財政改革の論理で行うのか、あるいは民主主義・自治の論理で行うのか、ということでもある。課題を共有する当事者性は、後者から涵養されるのは言うまでもない。

 節約至上主義ではなく、何のために何をカットするのか、絶対に譲れない領域は何か、あるいは何を守るためには負担増もあえて選ぶのか、こうした議論を市民とともにどれだけ深めることができるか。
 「あれか、これか」と言っても優先順位は多様だ。企業経営なら経済効率や合理性で判断すればいいが、「地域経営」はそうはいかない。議会には、地域の多様な利害を表出させつつ、上記のような議論のなかから優先順位を決めていく役割がある。その役割を果たすうえで、「自分は財政の切り口から判断する」「自分は子育ての切り口から判断する」「自分は産業自治の切り口から判断する」というような「審判としてのモノサシ」を、議員候補者の公約として提示してはどうか。
 何のために何をカットするのか、絶対に譲れない領域は何か、あるいは何を守るためには負担増もあえて選ぶのか、こうした議論からは、立憲民主主義の基礎である「われら主権者がつくった政府(自治体政府)」というオーナー感覚―当事者性が育まれるはずだ。そういう共有地≠耕していかなければならない。

 「選挙で勝てば、後は何を決めてもいい」のトップダウンでは、人口減少時代の政策はこれまで以上に地域の現場に丸投げになる。
 入管法改正は、人手不足→安価な外国人労働力という発想で、「生活者として受け入れる」という視点は欠落している。しかしすでに研修生や留学生という形の外国人労働者なしに、私たちの生活は回らない状態だ。その彼らを生活者として受け入れようと試行錯誤しているのは、地域であり自治体である。入管法改正が成立すれば、さらに自治体に丸投げになることを懸念して、外国人住民が多く暮らす自治体で組織する「外国人集住都市会議」(座長都市・太田市)は、共生施策の整備に国が深く関わるよう求めている。
 人手不足解消という経済の論理だけでは、地域は回せない。地域には、生身の人間として、生活者として受け入れる自治や共生の論理が不可欠だ。

 昨年の総選挙で与党の公約として掲げられた幼児教育の無償化。政府が来年10月からの実施としていることに対して、全国市長会は「確実な財源の保障及び子どもたちの安全を確保するための質の担保手法が国から示されない限り、円滑な施行は困難である」として政府に要請を行った。「保育園を考える親の会」の自治体へのアンケートでは、自治体負担が発生して財政が圧迫されることで、「保育の質確保策に悪影響」「公立保育所の予算確保が難しくなる」などが上がっている。
 待機児童対策として政府肝いりの「企業主導型保育所」も倒産や補助金詐欺などの問題が出ている。これも「自治体を関与させずにスピーディーに」と言いながら、その後始末のツケは自治体に回されている。
 待機児童解消や幼児教育無償化は、待機児童の「頭数」や保育所の「数」の問題ではない。曲がりなりにも、子どもの保育の質をどう確保するか、ということで取り組んできた自治体の関与を排したトップダウンでは、現場は回らない。

 人口減少時代をトップダウンではなく、地域から住民自治の当事者性で乗り切っていく力量を備えていく。その一歩として2019年統一地方選を。「2020後」に向けた民主主義のイノベーションへ。(3―6面「囲む会」も合わせて参照を。)

(「日本再生」475号一面より。紙幅の関係で、紙面では一部割愛しています。)
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「がんばろう、日本!」国民協議会 第九回大会
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2020後にむけて 
立憲デモクラシー(議論による統治)か、立憲的独裁か
〜国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへ

日時  2019年1月6日(日)1300から1700
場所  TKP市ヶ谷カンファレンスセンター
概要  第一部 講演(問題提起)
    第二部 パネルディスカッション
参加費 2000円

(懇親会 事務所(徒歩5分)へ移動  1730くらいから 参加費1500円)

【第一部 講演(問題提起)】
吉田徹 北海道大学教授 
諸富徹 京都大学教授 

【第二部 パネルディスカッション】
吉田先生 諸富先生 
松本武洋・和光市長 廣瀬克哉・法政大学教授 山本龍彦・慶應大学教授
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望年会のお知らせ
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■東京
12月15日(土) 1600から1900
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
会費 1500円

■京都
12月6日(木) コープイン京都 第一部・講演 1800-1900 中西寛・京都大学教授  参加費 1000円 第二部・懇親会  参加費 3500円


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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
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