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「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp
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Index 
□ 12月3日 シンポジウムのご案内  
「立憲民主主義の観点から考える外交・安全保障 〜国際協調の再構築は可能か〜」

□ 「お任せ」「ダメ出し」の消費者民主主義から、
  パートナーとしてともに担う民主主義へ

●「立憲民主主義を支える意思をつくりだす」 
 そのための言論空間を、どうつくるか
●立憲民主主義的なガバナンスを、どうつくりだすか

□「囲む会」のご案内 
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□第107回 シンポジウム
「立憲民主主義の観点から考える外交・安全保障 〜国際協調の再構築は可能か〜」
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12月3日(日)1300から1700
TKP神田駅前ビジネスセンターホール5階
https://www.kashikaigishitsu.net/facilitys/bc-kanda-ekimae/access/

参加費 2000円

【パネリスト】
川島真・東京大学教授 李鍾元・早稲田大学教授 大庭三枝・東京理科大学教授
大野元裕・参議院議員 佐橋亮・神奈川大学准教授

【趣旨】
「核兵器をちらつかせながら罵倒しあうトランプと金正恩」「独裁体制を強める習近平」・・・
国際環境は、戦後秩序の枠組みが機能しなくなっていることから「予測不可能性」を高めています。すぐには決着がつかないであろう時代に、「正義」を振りかざすのではなく「正気」を保っていくための論点・視点の整理ができれば、と思います。
また「立憲民主主義」という価値観(戦後秩序の基礎にある価値観)が、多少なりとも実感的に語られるようになってきましたが、わが国周辺においては、それが共有されているとは言いがたい状況です。このようななかで外交・安全保障の方向性をどう考えていくか、とくにアメリカをアンカーとした国際協調が成り立たなくなりつつあるなかで、どのような国際協調が可能なのか、ということを一つの軸にしたいと思います。

ぜひ、ご参加を!

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「お任せ」「ダメ出し」の消費者民主主義から、
パートナーとしてともに担う民主主義へ
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●「立憲民主主義を支える意思をつくりだす」 
 そのための言論空間を、どうつくるか

 安保法制を契機に人口に膾炙されるようになった立憲主義を、政治の座標軸として定着させることができるかどうか。2017年総選挙を経た後のステージは、このようなものとなる。「立憲主義の側なのか、反立憲主義の側なのか」では、このステージは見えてこない。
 「非常時だから、一任を」に流される民主主義観なのか、踏みとどまる民主主義観なのか。2017年総選挙をめぐる分岐はここにある。前者の立憲的独裁に道を開くのは、「反立憲」ではなく、膨大な非立憲(消費者民主主義)の空間だ。
 今日の立憲主義は立憲君主制ではなく立憲民主主義、すなわち国民主権である以上、人々のなかに「立憲民主主義を支える意思」をつくりだし、深めるという主体活動抜きにはない。そのことの弱さ≠ェ非立憲の空間(消費者民主主義)を温存し、立憲的独裁に道を開く。こうした性質のステージが始まった。

 立憲民主主義を深める、立憲民主主義を支える意思をつくりだす、そのための言論空間をどうつくりだしていくか。ここからさまざまな議論、問題設定、切り口などを整理して、この切り口からは立憲民主主義を深めることにつながるが、この切り口ではつながらない、といったことを実践的に集積していくことが必要だ。政権に対する追及も、立憲民主主義、主権者意識の涵養につながる追及なのか、というところから判断基準を整理したい。
 政策思想の軸についても、例えば「立憲民主主義を深めるための憲法改正とは」、あるいは「立憲民主主義と財政民主主義からの『税と社会保障の一体改革』とは」とか、「立憲民主主義を支えるインフラとしての社会関係資本、およびそのための社会的投資とは」といった切り口が考えられる(459号掲載の6/18シンポジウム、ならびに今号掲載の10/21シンポジウムも参照)。

 じつはこうした問題設定は必ずしも「新しい」ものではない。例えば、憲法改正の国民投票法をとりまとめた国会(憲法調査会)のプロセスが内包していた新たな憲法論議の可能性は、その後の「お試し改憲」発想によって寸断された。「税と社会保障の一体改革」の三党合意(2014)は、きわめて不十分ながら方向転換への糸口となりうる可能性もあったが、反故にされた。民主党政権での「コンクリートから人へ」という社会的投資の転換の試みは、「バラマキ」批判の前に潰され細々とした対処策に解体された。
 幕引きされようとしている平成の時代は、「失われた○○年」と重なる。失われたのは、「右肩下がり」の時代にフィットする政治経済社会へ転換するための機会であり、条件づくりだ。〇九年の政権交代はこの転換への挑戦と失敗であり、3.11はこの転換を先送りし続けることへの「警告」であると同時に、この転換を「新しい現実」として自らの手でつくりだそうとする人々の背中を押した。
 たしかに国レベルでの制度転換は、いまだ遅々として進んでいないとはいえ、模索の数々はあり、そこでの教訓もある。「失われた○○年」の一方で、右肩下がりへの転換を自分事として考える(考えざるをえない)人々が登場しつつある今、それを活かすことができるかは、立憲民主主義の言論空間をつくりだせるかにもかかっている。
 時代の転換を「他力本願」「外圧」としてしか受けとめられなければ、「非常時だから一任を」という立憲的独裁に身を委ねることになる。時代の転換を外圧ではなく、内発性で受けとめる主体基盤によって、立憲民主主義の言論空間は可能になる。そのとば口に立ちつつある。

 「政治の話をするとき、僕は乗り物のバスに喩える。運転手は乗客たちとの契約に従って運転している。乗客たちが国民にあたり、契約が憲法にあたり、運転手が統治権力にあたる。近代国家というバスの本義は、乗客たちが運転手に、その都度目的地を告げ、徹底監視し、文句を言うことだ。〜中略〜(戦後日本は)目的が自明(経済的豊かさ)だから、いちいち目的地も告げないし、ルートも運転の仕方も運転手の選択に委ねてきた。それでうまくいった。
 ところがうまくいかなくなった。バスが今まで走ったことがない場所を走るようになったからだ。経済的に豊かであり続けようとしてもルートはもはや自明ではない。〜中略〜自明さを前提にして運転手に『お任せ』しているわけにはいかなくなってきた。
 乗客である我々は、運転手にその都度の目的地を告げねばならなくなった。(適切なルートなのか、運転はどうかなど)監視したうえであれこれ文句を言い、場合によっては運転手を取り替える必要も出てきた。
 そう。我々は運転手を取り替えた(09年政権交代)。〜中略〜だがそれからが大変だ。運転手も運転経験が乏しいなら、乗客たちも命令して監視する経験が乏しい。運転手のミスや乗客たちの頓珍漢でバスはあちこちにゴッツンコ。
 〜中略〜下手をすると、いつまで経っても大目的を定められず、その都度の目的やルートを適切に指示できない『自分自身』に、嫌気がさした乗客たちが、全てを運転手のせいにして、頬被りしかねない。それどころか『考えないで、俺に任せろ』という馬鹿な運転手に、再び『丸投げ』しかねない」(宮台真司「民主主義が一度もなかった国・日本」まえがき 幻冬舎新書 2009.11 ()内は引用者)。

 「右肩下がり」の時代にフィットする政治経済社会への転換、その失敗の教訓とは、「お任せ」して「ダメ出し」するという消費者民主主義のフォロワーシップの失敗の教訓にほかならない。2017年総選挙はこうした主体基盤の一角が、可視化されつつあるということでもある。その感覚は、例えばこうだ。 
 「私は市民が議員を支持するのではなく、議員が市民を支持するものだと思っていました。例を挙げると、候補者が身近に関わった支援学校の教室不足、給食提供の問題等。議員が市民を応援するのが、本来の姿だと思っていました。しかしながら、思慮が足りなかったようです。市民と議員が対等なパートナーとして、切磋琢磨しながら暮らしを考えるものなのだと感じています。そのパートナー選びの1つが選挙だと気付きました。自分のマインドに近い相手をパートナーとして、切磋琢磨して暮らしを考えなくては、何年待ってみても何も降ってきません」(今号「一灯照隅」「伴走するフォロワーとして」)
 立憲民主主義を深め、立憲民主主義を支える意思をつくりだすための言論空間をつくりだすというところから、右肩下がりの時代にフィットするためのさまざまな政策課題を取り上げ、その実践的な経験を集積していこう。

●立憲民主主義的なガバナンスを、どうつくりだすか
 
 立憲民主主義の言論空間をつくりだすためには、ガバナンスもそれにふさわしいものへと転換されなければならない。例えば選挙(とくに小選挙区)や国会対策上では野党間の協力や調整は不可欠だが、そのことと野党再編=数合わせとは明確に峻別しなければならない。これは有権者との関係性にも関連する。
 「長妻 これまで私たちが数集めを重視しすぎて、期待してくれた有権者を蚊帳の外に追いやってしまった反省からすれば、今後の野党再編は、従来の発想ではない形で慎重にやらなくてはなりません。安易な合従連衡はやっぱりしないということですね。〜中略〜一番いいのは国民全員が国会議員になることですが、物理的にできないから代表者を選んで頼むぞということであって、好き勝手にやっていいわけではない。代理人として国会でやっているわけですから、政策を作り上げるのも、SNSなどを使って有権者に直接参加してもらうやり方を考えたいと思います」
(http://net.keizaikai.co.jp/archives/26897)

 論理的には参加型民主主義の活性化によって、代表制民主主義をより機能させる方向性、そうしたガバナンスへの挑戦であり、ローカルパーティーの可能性もこうした文脈のなかに位置づけられるだろう。
 あるいは「勝ち負け」を争う選挙においても、「有権者の投票や関与で政治的対立を治める」という方向性にむけた模索、その実践的教訓を集積することが不可欠になる。そのためには日常的に見解の違うグループ、人々と議論する場、関係性を作らなければならないし、それにふさわしいガバナンスが求められる(3―4面「総会報告」参照)。

 また、これまでの仕組みを転換すべき問題は、既存の制度や「常識」では解決できない以上、当然のことながら「制度の外」から提起される。それに対して、「言いたいことはわかるけれど、やり方が『非常識』だ」と、論点をすりかえるのか。あるいは既存の制度の外からの多少乱暴な問題提起を受けとめて、新しい常識、新しい現実をつくりだそうとするのか。
 現実の社会の多様性に立脚するなら、後者のガバナンスが求められる。これは「新しい公共のためのパートナーシップ」をどうつくりだすか、ということにもつながってくる。

 「地方自治体―憲法では『地方公共団体』という概念は、民間とは違う公共団体のみが公共性を担う、という観念が内包されている、少なくとも法理念的にはそういうことを引きずっている概念です。その感覚が、実際にはかなり薄れざるをえない場面が出てきていると。
 特に地方で、地域の新しい動きに対して行政がプロデューサー的にいい役割を果たしているようなところでは、そうした公共団体観はかなり薄れているとは思います。しかしいろいろな政策実施の場面では、公共性というのは、つまるところ政府部門である地方公共団体だから担えるのであって、効率的な実施部隊としての民間委託のようなものはあるとしても、担保になる公共団体の裏付けがいるんだという感覚は、まだ十分には払拭され切っていないだろうと思います。
 そうしたこだわりをいったん捨てた上で、それぞれの特性を持って補完的な関係、それぞれの分野やセクターのいい面が生きる関係性を作るという感覚を、どう涵養していくか」(廣瀬・法政大学教授 10/21シンポジウムより)。

 すでに地域の自治の現場では、こうした新しいガバナンスの経験と教訓はさまざまな形で集積されつつある。それを、より「大きな」意思決定にかかわるガバナンスの転換にまで、どのように結び付け、また迫り上げていくか。その挑戦の舞台として統一地方選、参院選をはじめとする選挙の場を準備しよう。

(「日本再生」463号一面より)
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 「望年会」のご案内
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□京都「望年会」特別講演
「戦後秩序の危機の時代にどう向き合うか〜国際協調の再構築は可能か」
中西寛・京都大学教授
12月7日(木) 1800から
キャンパスプラザ京都 第四講義室
参加費 1000円

・講演終了後(1910〜)懇親会 同1階「ケニヤ」
会費 3500円

□2017年 望年会@東京
今年の教訓を「忘」れず、来年を展「望」する、恒例の望年会
12月23日(土・祝) 1600から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
会費 1500円
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2018年 東京・戸田代表を囲む会
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□第181回
「市民政治の育てかた 観客民主主義から参加型民主主義へ」
1月19日(金) 1845から
ゲストスピーカー 佐々木寛・市民連合@新潟共同代表 新潟国際情報大学教授

*2016参院選、県知事選、2017衆院選を「市民と野党の共闘」で戦ってきた市民連合@新潟。その取り組みの意見と教訓をどう活かし、共有していくか。
参照:「日本再生」457号インタビュー 

□第182回
「『すべて国民は個人として尊重される』(憲法13条)って、どういうこと?」(仮)
2月5日(月) 1845から
ゲストスピーカー 山本龍彦・慶應大学教授

*立憲主義の基本原理である「人権」「個の尊重」は、実現されているのか。憲法改正は今ある憲法を守ってから言え=立憲主義を支える意思を、9条以外からも作り出すとは。
参照:「日本再生」461号インタビュー 

いずれも
会場 「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
会費 同人 1000円  購読会員 2000円 


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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp