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「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp
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Index 
□ 立憲民主主義の旗は立った 
ここから立憲民主主義を支える意思を集積していくために

●「国家がまっとうな国民をつくる」政治観vs「国民がまっとうな政府をつくる」政治観
 〜ボトムアップの民主主義
●多様性を認める包摂・連帯vs分断と排除 ガバナンスをめぐる対立軸
●立憲民主主義を支える意思を集積していくために
 伴走するフォロワーへ

□「囲む会」のご案内 
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立憲民主主義の旗は立った 
ここから立憲民主主義を支える意思を集積していくために
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●「国家がまっとうな国民をつくる」政治観vs「国民がまっとうな政府をつくる」政治観
〜ボトムアップの民主主義

 第48回衆院選は戦後二番目に低い53・68%の投票率で、小選挙区での得票率48%の自民党が議席の74%を占有して「圧勝」した。内閣不支持率が支持率を上回るなかでの自民圧勝は、一議席を争う小選挙区制において野党が分裂していたからだというのは、政治力学的にはその通りだ。
 しかし今回の総選挙からは、旧来とは異なる政治観、国家観、民主主義観の違いが見えてくるのも確かだ。結党したばかりの立憲民主党が野党第一党となったことは、その象徴だろう。議席数だけでなく、ツイッターのフォロワー数でも自民党を一挙に抜き去り、短期間に8500万円の個人献金が集まった。街頭演説では雨のなか、各地でこれまでにない数の人々が集まり、足を止めて耳を傾けた。

 選挙戦最終日、八千人(主催者)が集まった新宿で、枝野代表は次のように訴えた。
 「この国の政治が国民から離れている。そんな思いで、何とかその受け皿になりたいと、旗を立てました。でも、こんなに短期間で、こんなに多くの皆さんにご期待を頂いて、私は反省をしています。私自身も含めて、この国の政治がいかに国民の皆さんから遠くに行ってしまっていたのか。そのことに、多くの皆さんが苛立ちを感じておられたのか。多くの皆さんからご期待を頂けば頂くほど、そのことを痛切に感じる選挙戦でありました。  国民の暮らし、草の根の声から離れて、政治が上の方に行ってしまって、上から国民の皆さんを、国民の暮らしを見下ろしている。だから暮らしの足下が見えない。こうした政治の流れを変えていく。こうした政治の流れにおかしいと思っている人たちの声を受け止める。そんな存在に、立憲民主党はなりたいと思っています」
http://satlaws.web.fc2.com/CDPlist.htmlより

 立憲主義とは何か、何のための憲法改正か、民主主義=多数決なのか、ボトムアップの民主主義とは何か、「上」からの経済成長(トリクルダウン)なのか、「下」からの経済成長なのかetc 立憲主義や民主主義、憲法観をめぐる論戦の軸が提起されつつある。それは、安倍政権批判の「受け皿」とはまったく異なる次元に、「もうひとつの選択肢」の旗を立てる試みでもある。今回の総選挙はその始まりとなるはずだし、ぜひそうしたいものだ。

 「国家がまっとうな国民をつくる」という政治観vs「国民がまっとうな政府をつくる」という政治観こうした政治観、民主主義観、国家観の違いが浮かび上がりつつある。前者は、国民が政府を構成する(権力の正統性は国民の付託にある)という規定が欠落した自民党改憲案に端的に表れている。ここからは権力をしばる立憲主義は、むしろまっとうな国民を破壊する考え方にみえる。(10/21シンポジウムでの廣瀬克哉・法政大学教授の提起。シンポジウムの詳細は次号に掲載)。

 枝野氏は演説で繰り返し、以下のような趣旨を述べた。永田町に長くいると、政治家が国民を統治すると勘違いする、自分もそうだったかもしれない、しかしみなさんは「統治される」のではなく、みなさんが統治する、主権者はあなたです。政治家、政府はみなさんから付託された範囲においてのみ、権力を行使することができるにすぎない、と。

 こうした政治観、民主主義観、国家観の違いを軸にすると、「野党分裂→自民圧勝」という表面的な政治力学では見えなかったものが見えてくる。例えば
 「野党の態勢が整わないタイミングを狙って解散するのは、国民の選択権を事実上奪う…安倍首相が野党に勝った側面はあったが、首相が国民の選択権を封じ込めることに成功したのではないか。これが民主主義を破壊している」(野中尚人・学習院大学教授 朝日10/24)。
 解散権の制約は憲法改正の論点となりうるし、それを狭い意味での「権力の制約」としてだけではなく、「国民の選択権の保障」→「国民がまっとうな政府をつくる」条件整備のための憲法改正として問題設定することは、憲法改正の国民的論議の土俵をつくることにもなるだろう。九条「お試し改憲」に対しても「反安倍」の受け皿ではない、ボトムアップの民主主義からの「もうひとつの選択肢」をつくりだしていく。そういうステージにはいるということだ。

 また、今回の選挙で小選挙区制の行き詰まりがあらわになった、との見方もあるが、中選挙区制や比例代表を増やしたりすれば、政権交代を封印することになるだろう。政権交代がサイクルを回すべきという立場なら、「小選挙区だからこそ、野党が選挙協力をやれば、自公にも対抗できることがわかった。政権交代が重要だと考えるなら、今の選挙制度は決して悪くない。問題は、野党が今の制度をうまく使いこなせていないことだ」(野中 前出)ということになる。

 今回、民進党が希望と立憲民主へ分解したことは、「政権交代」「二大政党」を目指すとしてきた、九〇年代以来の政権交代可能な二大政党論の総括でもある。日本新党以来「非自民非共産」という枠組みで、いくつもの新党が出来ては消えた。その行き着いた先が希望の党の「保守二大政党」論。これは結局、選挙で政権交代というサイクルが出来ないなら、与党内の疑似政権交代の構造をつくる、という問題設定に回収される。
 「立憲民主党の立ち上げは、選挙で、有権者の一票で政権交代するシステムを目指そうと言ってきたなかに、国民主権の主体性、立憲民主主義の当事者性を作るということが入っていたのか、ということの総括であり、分岐でもあるという性質になっている。国民主権の主体性を作る、ということが欠けているor弱い度合いに応じて、『保守二大政党論』、『与党内疑似政権交代論』に回収される。それが鮮明になっているということでもあります」(戸田代表 9―10面「囲む会」特別編)

●多様性を認める包摂・連帯vs分断と排除 ガバナンスをめぐる対立軸

 選挙戦ではもうひとつ、これからの対立軸を彷彿とさせる象徴的な光景があった。最終日、立憲民主党の街頭演説では、新宿バスタ前を埋め尽くした人々が小雨のなか、後ろの人のために傘をたたんだり、互いに譲り合ったりするなかで、「選挙は終わりますが、立憲主義を取り戻す戦いはこれからです。立憲民主党という新しい政党をいっしょに作ってください。永田町に引きこもらないように監視してください」という呼びかけに、一体となって呼応していた。

 一方、安倍総理が「リベンジ」と称して行った秋葉原での街頭演説は、日の丸が林立するなか、大音量での派手な演出のかたわらで、罵倒や威圧、こぜりあいがあちこちで繰り広げられる殺伐とした雰囲気だった。以前なら、後援会単位の参加者の和気あいあいとした雰囲気が多少なりともあったのだが、そういう雰囲気は皆無。人々の一体性が感じられるのは「敵を叩く」ときの盛り上がりだけ、という異様な光景だった。

 多様性を認める包摂・連帯vs分断と排除。ガバナンスをめぐるこうした対立軸も抽象論ではなく、人間関係の作り方(人格形成)、組織のあり方などの具体性として見えつつある。
 例えば、小池氏の「排除」発言。「驕り」の現れと批判されたが、ご本人としては「政党は理念、政策で一致すべき」と言いたかったのだそうだ。では「言葉が足りなかった」だけなのか。そうではないだろう。
 「理念、政策で一致」というとき、多様性はどこまで前提になっているか。多様性、複数性すなわち「異なる他者」を前提としてはじめて、政治=議論を通じた合意形成が意味を持つ。そこをすっ飛ばした「理念、政策の一致」なら、簡単に排除と同化圧力に転じる。そうではなく、「公共性とは、閉鎖性と同質性を求めない共同性、排除と同化に抗する連帯である」(齊藤純一「公共性」岩波書店)という「理念、政策の一致」なのか。
 今回、立憲民主党の躍進を支えた多様な市民の参加を一過性のものとせず、ボトムアップの政党としての型を作っていくなかで、こうした対立軸はさらに具体的なものになっていくはずだ。

 政党は魔法の杖≠フような解決策を示してくれる存在ではなく、「有権者の困りごとを聞き、課題を認識してくれる。そういう場としての存在です。自分たちは見捨てられていない、政策決定に関与できていると有権者が思うことは民主主義にとって大切で、そこで政党が果たす役割は大きいはずです」(待鳥聡史・京都大学大学院教授 中央公論10月号)。
 こうした政治的有用感を育む場を「敵を叩く」ことで作り出すのか、それとも多様性を認めあう連携と共同で作り出すのか、ということでもあるだろう。

 安保法制以来の「市民と野党の共闘」が持続しているのは、草の根の現場で人々が時にぶつかり合いながら、違いを認め合ったうえで、どうすればいっしょにやれるのか、一歩ずつ積み上げているからだろう。政党や組織の枠組みを軸にした「共闘」「統一戦線」とは違う、新たなローカルガバナンスの転換が始まっているはずだ。
 地域課題に取り組む「場づくり」においては、さらにその経験、教訓は集積されているはずだ。生活環境をやなりわいをはじめとする暮らしの多様性を前提にして、他者と「目線を合わせる」(湯浅誠氏)という関係性を作ることは、「主権者を引き受ける」(湯浅誠氏 四六一号「囲む会」)当事者性を涵養することでもある。

●立憲民主主義を支える意思を集積していくために
 伴走するフォロワーへ

 立憲主義という「古めかしい」言葉が登場しているのは、単に憲法が危ないから、というだけではない。多様性を前提にした民主主義と立憲主義の新たな調和をどう図るか、という問題設定が見えつつある、ということだ。民主主義はときに「多数の暴走」にもなりうるし、ナチスのように民主主義から独裁が生まれることもある(立憲的独裁)。民主主義をルール(憲法)によって制約するとともに、主権者がそのルールを変える(憲法改正)こともできるという立憲民主主義は、国民の中にそれを支える意思が集積されてこそ可能になる。

 「(憲法について)議論の自由度が増したのは確かですね。でも、肝心の『憲法への意志』がどこにあるかと考えると暗たんたる状況です。〜『憲法への意志が憲法の規範力を支える』〜日本の場合は『憲法への意志』が、9条とその支持層に限られており、憲法の核心をなす立憲主義の本体が、それによってのみ支えられるという構造になっている。〜他方で、いたずらに憲法を敵視する復古的な勢力だけが、依然として改憲への『意志』を持っている。この状況でもかまわないという立場を取ると、立憲主義そのものの否定に加担することになると思います。そうやって憲法の根幹を奪われてしまうことへの危機感が、『真ん中』には感じられません。もしそこに、立憲主義の敵を退ける強い『意志』を見出せる状況ならば、9条の是非を視野に入れた、より広範な憲法論議が可能になりますが」(石川健治 5/3毎日)。

 立憲民主主義ということが、普通の人にも感覚的に理解できるようになってきたなか、今後始まるであろう憲法改正をめぐる議論では、この立憲民主主義を支える意思が試されるだろう。改憲勢力が三分の二を超えた、とされる国会で「数の力」だけで発議を強行するような立憲的独裁に道を開くのか、それとも立憲民主主義をより機能させる、「国民がまっとうな政府をつくる」条件整備のための憲法改正として問題設定することができるのか。

 代表制民主主義や政党政治が機能していないときに、それらをどう再生するか、という問題設定から憲法改正を議論する。これは、民主主義から独裁が生まれた(立憲的独裁)歴史的教訓を踏まえたヨーロッパでは常識だろう。緊急事態法・条項に関しても、非常事態だから憲法停止・立法権停止=行政権力への全権委任という話ではなく、非常事態においてもどのように立憲主義をキープするか、という問題設定から議論される。この常識が分かれば、「お試し改憲」がいかに非常識か、分かるはずだ。

 一方、危機の時代にはナショナリズム、排外主義が煽られ、それが立憲的独裁に道を開くことになる。これをどう抑えこんでいけるか。戦前日本でも「天皇機関説」(大日本帝国憲法下での立憲主義)は常識で、それなりに民主的だった「空気」が数年で一変した。それは決定的には人々の感情だ。常識の理屈はもとより屁理屈さえも、感情を煽る「無理屈」の前に沈黙させられる「空気」。
 今はフォロワーのなかにも「おかしいよね」と、踏みとどまるものが出てくるようになりつつある。フォロワーのなかにそういう雰囲気がなければ、常識が分かっていても踏みとどまるのは難しい。ここでいかにして、立憲民主主義を支える意思を作ることができるか。

 「そのためには『応援』ではなく『伴走』するフォロワーが必要になります。伴走するということは、後ろをついていくのではなくいっしょに走り、場合によっては方向を示唆したり、『違うんじゃないか』と提起したりする関係性です。日ごろからそういう付き合いをしていなければ、『おかしいんじゃないか』というのも、説得ではなく『抗議』や『文句』になってしまう。
 伴走することによって、普通の人が当事者性を持ち、参加の実感を持つ。その強みをどう生かすか」(戸田代表 9―10面「囲む会」特別編)

 地域の現場、自治の現場のなかで「伴走するフォロワー」として、立憲民主主義を支える意思をともに作り出し、集積していこう。

(「日本再生」462号 一面)
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「囲む会」のご案内  
〜「凡庸の善」で考え続け、立憲民主主義を支える意思を持続するために
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■「がんばろう、日本!」国民協議会 第八回大会 第五回総会
11月12日(日)1000から1800(予定)
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 無料

*選挙戦の総括と、立憲民主主義を支える意思を集積していく方向性について

■第29回関西政経セミナー  「まちづくり・地域経済と、自治・民主主義」 11月4日(土) 1400から
キャンパスプラザ京都
川勝健志・京都府立大学准教授 田中誠太・八尾市長 中小路健吾・長岡京市長 ほか 参加費 1000円

*6/18シンポジウムの「続編」。民主主義のインフラとしての社会関係資本(人びとのつながり)を
豊かにするための社会的投資とは、そこでの自治・自治体の役割、可能性とは…

■第106回 シンポジウム
テーマ 外交・安全保障
*北朝鮮危機、中国の台頭、トランプの暴走…のなかで、「正義」を振りかざすのではなく
「正気」を保つために

12月3日(日)1300から1700
TKP神田駅前ビジネスセンターホール 5階

川島真・東京大学教授 李鍾元・早稲田大学教授 大庭三枝・東京理科大学教授
大野元裕・参議院議員 ほか
(柳澤協二氏は日程の都合で参加できなくなりました)
参加費 2000円
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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
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