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「がんばろう、日本!」国民協議会
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Index 
□民主主義をバージョンアップするための確信を語ろう
「いのちの世話を人びとが協力してなす技」としての自治と「議論による統治」をつなぐ

 ●弁解ではなく、確信を語る
 ●価値をめぐる問いに向き合ってこそ、主権者教育
 ●民主主義の足場はどこまで固まっているか

□「囲む会」のご案内 
  
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民主主義をバージョンアップするための確信を語ろう
「いのちの世話を人びとが協力してなす技」としての自治と「議論による統治」をつなぐ
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 6月18日のシンポジウム(詳細は末尾「ご案内」参照)のテーマは「民主主義のバージョンアップ」。そのための起点となるであろう点について、考えたい。

●弁解ではなく、確信を語る

 イギリス国民投票、アメリカ大統領選と、先進国政治の乱気流が続く中、フランス大統領選は、開放経済と移民包摂に積極的で国際協調や欧州統合の重要性を正面から説くマクロン氏を大差で選出する結果となった。
 これは、「国際政治における新たなトレンドを裏付けた。どの国においても、最も重要な政治的分断はもはや左派か右派かという構図ではなく、国家主義者か国際主義者かという構図になった」(ギデオン・ラックマン 日経4/27)ということでもある。「既存政治の機能不全」や、「やせ細る中間層」、「先進国リスク」といった問題に、国際協調・国際主義の立場に立って向き合うのか、それとも国家主義の立場に立って、国境の壁を高くすることで向き合うのか、それが問われるということだ。

 この転換をもたらしたものは何だろうか。人びとの不安や不満の高まりに対して、「知識人ですら、反自由主義的ポピュリズムに『理解』を示し、ひそかに迎合する中」(遠藤乾 東洋経済オンライン5/8)、「マクロン氏は11人の候補者中唯一、開放経済と欧州統合の意義を堂々と肯定し、そのうえで選出された。つい10年ほど前に、欧州憲法条約が国民投票で否決され、その後遺症が残る国での話である」(遠藤乾 朝日5/25)。
 遠藤氏はこうしたマクロン氏の揺るぎない確信を、彼個人のバックボーンから解き明かして、こう述べる。「(マクロン氏の思想的立場からは)〜欧州は、個人と社会、市場と衡平、競争と尊厳との間に均衡が成り立つ稀な場に映る。国もそう。欧州という枠のなかでフランスは開花し、そうなることで欧州も輝く。だからそれは、保全されなねばならない。統合や協調を進めるのに弁解は不要だ、となる」(遠藤 前出「朝日」)。

 もちろん、「こうした確信は傲慢と紙一重」(同前)ともなりうるだろう。だがポイントは別のところにある。人びとの不安や不満をどれだけ「的確に」「正しく」分析できたとしても、そこに立脚すべき強い確信≠ェなければ、乱気流を乗り切ることはできない、ということだ。

 それは例えばまちづくりをめぐる地域の議論の場で、どんなに有能なコンサルによって的確な現状分析と方向性が示されたとしても、そこに思い≠ェなければ人びとを動かすことはできない、ということに通じる。思い≠ェあって、人びとが動くからこそ、合意形成のプロセスが動き始める。当然、思いも立場も意見も利害も違う人びとのなかでの合意形成は、時間も手間もかかる。その紆余曲折を一歩ずつ進めるためにも、思い≠繰り返し共有することが大切だ。その過程で思い≠ヘみんなの意思≠ノなっていく。

 それがあれば大きく道を外れたり、修復不能な分断に陥る可能性は低くなる。それがなければ、目先の個別的な利害に不断に揺さぶられ、はじめは小さな食い違いが分断と対立の芽に転化することになる。そうしたいわば、拠って立つべき確信をどう持つか、が問われているのではないか。

 民主主義のバージョンアップというのは、たんなる制度や仕組みの改変の話ではない。民主主義の価値をめぐる問いに真剣に向き合い、その過去―現在―未来のなかから共有すべき価値を磨いていくことだろう。そこに弁解は不要だ、必要なのは確信なのだ。

●価値をめぐる問いに向き合ってこそ、主権者教育

 民主主義の機能不全は、他人事ではない。「安倍政治」の下で、民主的な統治プロセスがいかにないがしろにされているか、挙げればきりがない。もちろんそれに対する抗議行動も必要だろう。だがそれは「安倍政権打倒」だけで済むことなのか。もっと根本のところ、民主主義の価値について共有するところから組み立てなおすことなしには、民主主義のバージョンアップにつなげることはできないだろう。遠くに跳ぶためには、後ろに下がらなければならない。

「私は行政学者ですから、地方自治について制度や組織の話を長年やってきました。もちろん今もそのレベルでの改革も必要なのですが、最近はもっと根本のところで自治のあり方を再構築、バージョンアップしないと物事は動かない、そのギリギリまで来ているのではないか、という思いが強くなっています。
最近『ポピュリズム』という議論がありますが、東京都政では石原都政の成立をめぐっても、そういう議論がありましたし、その前の青島都政も『人気投票云々』と言われたりしました。そういうことが繰り返されつつ、劣化しているんじゃないか、という感じもあります。
 これは一つひとつの現象を批判しているのではなく、なぜそうなっていくのか、ということにまでさかのぼって考え、そこからどう構えていけばいいかということを、もう一度組み立てなおさなければいけない、そんな時点に今立っているのかな、と思っています」(廣瀬克哉・法政大学教授 「日本再生」457号)。

 「民主主義を単なる政治のやり方だと思うのはまちがいである。〜すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である」。これは、1948年から53年まで中学・高校の教科書とした使われた「民主主義」のなかの一文だ。この復刻版(幻冬舎新書)を編集した西田亮介氏(東工大准教授)は、同書の解説でこう述べている。

 (18歳選挙権を受けて総務省と文科省が制作した教材は)「政治や選挙の基礎知識について端的に記述されているともいえるが、ここには価値をめぐる問いは登場しない。見事なまでに教科書的である。なぜ民主主義を学ぶ必要があるのか、民主主義と憲法の関係はどのようなものなのか。近代日本にどのように民主主義は定着してきたのか。日本の民主主義の固有性、短所、長所とは何か・・・・・・。このような価値に関する問いと向き合わずに済むように、巧妙にデザインされている。(これらが政治的にセンシティブなものであったとはいえ/引用者)〜こうした問いこそが、民主主義や政治と向き合うモチベーションの源泉となる。価値をめぐる問いを抜きにして、日本における民主主義の質感や手触り、固有性を語ることはできず、また政治的な志向も自覚できないだろう」
 
 価値をめぐる問いに向き合わずに済ませてきた民主主義とは消費者民主主義であり、それは「消費者として公共サービスに依存することが当たり前」の社会だ。その「依存して生きられる社会」が、いよいよ限界を迎えつつあるなか、私たちは民主主義をめぐる問いに向き合って、そこから構えなおしていくべき地点に立っている。その足元は自治の現場にほかならない。

「介護サービスの消費者として、そのサービスを買えるお年寄りは、消費者として自分の生活の質を買うことができます。それができる消費力がなくなると、ここは傷んでくる。傷んだ人の割合が多いコミュニティで、まさにまちが荒れてくるというようなことが進んでいくとき、でも本当にまちをそういうふうに使い捨てていって大丈夫ですか、みんなが不幸になりませんか、そうならないためにどうしたらいいんでしょうか、何ができますか、というコミットメントが自治体を動かす仕組みであると考えると、それは民主主義の政治制度の中で動かしていくしかないわけです。
だから投票だって、行かなくちゃいけないのだと思います。〜中略〜理念をお説教するのではなくて、このまちで生きていくことの『宿命』として、どんなふうに振る舞うのが大人であるか、そういうたしなみとして民主主義を再生させないといけないんじゃないか、そういう主権者教育をわれわれは求められているのではないか、と感じています」(廣瀬先生 前出)

依存するのが当たり前という「豊かな社会」の消費者民主主義のライフスタイルそのものを見直し、「いのちの世話を人びとが協力してなす技」としての自治(廣瀬先生)というライフスタイルへと転換していくところから、民主主義を再生させる。迂遠のようにみえるが、それが主権者運動の歴史的な役割だろう。

●民主主義の足場はどこまで固まっているか
 
 問われているのはポピュリズムの是非や危険性ではなく、ポピュリズムの波に足をすくわれないほどに、民主主義の足場が固められているのか、ということだ。

 「石川 (憲法について)議論の自由度が増したのは確かですね。でも、肝心の『憲法への意志』がどこにあるかと考えると暗たんたる状況です。支える意志ですね。〜『憲法への意志が憲法の規範力を支える』〜日本の場合は『憲法への意志』が、9条とその支持層に限られており、憲法の核心をなす立憲主義の本体が、それによってのみ支えられるという構造になっている。〜他方で、いたずらに憲法を敵視する復古的な勢力だけが、依然として改憲への『意志』を持っている。この状況でもかまわないという立場を取ると、立憲主義そのものの否定に加担することになると思います。そうやって憲法の根幹を奪われてしまうことへの危機感が、『真ん中』には感じられません。もしそこに、立憲主義の敵を退ける強い『意志』を見出せる状況ならば、9条の是非を視野に入れた、より広範な憲法論議が可能になりますが」(石川健治 5/3毎日)。

 立憲主義を支える「意志」とは、どういうものか。「立憲主義は独裁国家ではない、現代民主政国家にとってのグローバルスタンダードでもあるが、その核心は『法によって国家権力を構成し、制限する』という点にある。ここで強調したいのは、国家権力を構成するという点、すなわち複雑化する現代社会で『国民』を形成する政治プロセスを生み出すという憲法の働きである」(宍戸常寿 正論6月号)。

 「国民」とは、あらかじめ一枚岩のまとまりを形成している存在ではない。とくに現代社会は多様な利益、価値、世代、地域、信条などの違いのなかで、それを調整しバランスをとることの繰り返しであり、政治プロセスもまた、こうした利害や立場の違いを調和させて(多数決至上主義ではなく!)合意形成を調達していくものにほかならない。
 こうした「議論による統治」(三谷太一郎)における当事者性の涵養と、「いのちの世話を人びとが協力してなす技」としての自治における当事者性の涵養を結びつけ、その結びつきによってそれぞれをさらに豊かなものにしていく、そうした民主主義の循環をつくりだしたいものである。

 政治家に確信≠求めるのは「ないものねだり」だが、空虚な言葉をふりまく政治家には事欠かない現状のなかで、せめて「あったものをなかったものにはできない」というオープンな都政運営への転換くらいはめざしたいものだ。
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「凡庸の善」で考え続けるために
「囲む会」のご案内 
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■第177回 戸田代表を囲む会
「『国家戦略特区』を検証する〜暮らし≠ニなりわい≠地域の手で」
6月3日(土) 1330より
ゲストスピーカー 岡田知弘・京都大学教授
「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)
同人1000円  購読会員2000円

「第二の森友」といわれる加計学園(愛媛)問題は、国家戦略特区の産物である。
アベノミクスの下で進められている国家戦略特区が何を生み出しているのか。
その検証とともに、いわばその対極にめざすべき地域再生―地域経済の活性化
について、またそこでの自治体の役割について、お話しいただく。

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第105回 シンポジウム
制度の外からの問題提起を、新しい共有地≠フ糸口として受けとめる民主主義の底力を鍛えよう
〜民主主義のバージョンアップとフォロワーシップの転換〜
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6月18日 1230から
TKP市ヶ谷カンファレンスセンター7階ホールA
参加費 2000円
講演とディスカッション
吉田徹・北海道大学教授
小川淳也・衆議院議員 ほか


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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
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