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「がんばろう、日本!」国民協議会
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Index 
□「このままでも明日は来るけれど、その先に未来はない」という
 未来の記憶≠持つ生活者を、自ら未来を変えうる主権者へ

 ●さしせまる破局、それとどう向き合うか 〜「時間かせぎの政治」に対抗する

□「囲む会」のご案内 
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「このままでも明日は来るけれど、その先に未来はない」という
未来の記憶≠持つ生活者を、自ら未来を変えうる主権者へ
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【さしせまる破局、それとどう向き合うか 「時間かせぎの政治」に対抗する】

 「2050 近未来シミュレーション日本復活」(クライド・プレストウィッツ著 東洋経済新報社)という本が話題になっているらしい。イノベーション大国として台頭した2050年の日本のお話だ。

 「訪ねた企業では、ここは北欧かと見紛うばかり、女性が取締役会の過半を占めている。日本は、世界でも有数の女性が活躍する社会に生まれ変わったのだ。
 もっとも大きな変化は、人口動態だ。人口減少は2025年に上昇に転じ〜中略〜日本経済は年率4・5%で力強い拡大を続けるようになった。いったい2016年と2050年の間、日本に何が起きたのか。これこそが、本書の主題だ。
 2017年、危機が勃発する。アベノミクスは失敗、膨大な公債残高の償還可能性に不安を抱いた投資家が円建て資産を売却、資本逃避が始まる。窮した日本は、IMF管理下に入る。衝撃的なのは、サムスンによるソニーの吸収合併だ。〜中略〜国家の存立危機を前に、国会は『特命日本再生委員会』の創設を決める。(女性の就業率向上や計画的な移民の導入、再エネによるエネルギー独立、連邦制導入による徹底した分権など、同委員会の提言を実行に移すことにより)日本は明治、終戦後に続く3度目の経済的奇跡を自ら実現することに成功する」(朝日新聞8/28 書評/諸富徹・京都大学教授)

 著者は1980年代の日米貿易交渉にもあたった日本通。日本の経済社会システムの本質を突くような指摘も、多々ある。あの敗戦によってもなお生き延びた「1941年体制」(野口悠紀雄)が、IMFショック程度で改革できるのかとか、「特命委員会」の提言を「誰が」「どうやって」実現するのかなど、突っ込みどころもあるが、むしろそれらはわれわれの「宿題」と言うべきものだろう。

 この本に描かれる2050年の日本社会の姿は、「一億総活躍社会」や「同一労働同一賃金」、「働き方改革」などアベノミクスが掲げる目標とも、かなり重なるところがある。興味深いのは、このシミュレーションがアベノミクスの失敗→実質的デフォルトから始まっている点だ。

 アベノミクスとは何か。それは一言で言えば、破局に向かう「時間かせぎ」の政治だ。
「アベノミクスは三本の矢を矢継ぎ早に放つものの、それはリボルバー拳銃のように回転し続けるものである限り終わりはみえず、だから検証に晒されることもない。アベノミクスが成功しないのは、アベノミクスが不足しているからだという『リボルビング・アベノミクス』の論法がとられることになる。〜中略〜『道半ば』である限り、とりわけ景気上向きの実感が薄いとされる地方に、『いつかは』アベノミクスの波及が及ぶはず、という期待の操作ができるからだ。そして、その期待値は、政権持続と政策支持となって現れる。三期連続のマイナス成長、実質賃金の低下、消費水準指数の落ち込みといったマイナスの実感があってこそ、それらは期待値へと転換される」(吉田徹 世界9月号)

「そう考えたとき、アベノミクスを批判する野党が、景気回復への国民の『実感のなさ』を持ち出しても、その『実感』が待たれているものである以上、説得力を欠くのは当然である」(同前)

こうしたリボルビング・アベノミクスの「弱点」は、財政の持続可能性だ。アベノミクスの「三本の矢」は、金融政策、財政政策、構造改革というオーソドックスな経済政策を言い換えたにすぎない。特徴があるとすれば、金融政策を「ふかす」ことに特化した点だろう。

「1990年代初頭、バブル崩壊後の日本では、財政出動と減税で景気を刺激しさえすれば不況を脱出できる、と皆が信じ、巨額の財政政策を毎年繰り返した。90年代も今とまったく同じ議論をしていたのだ。違いといえば、当時は国の借金は少なく、高齢化も進んでいなかったことである」(小林慶一郎 日経6/20「経済教室」)
90年代の財政出動は、企業の過剰債務を国家が肩代わりする「徳政令」にも似た不良債権処理に費やされ、景気は回復せず国の借金だけが増えた。そこで今度は金融緩和を極限までやったが、これもうまくいかない。そこで再び「財政と金融の同時実施という昔と同じ話が『ヘリコプターマネー』政策として、まるで新しいことのように議論されている」(小林 同前)というわけだ。

二十年前と違うのは高齢化の進行と、GDP比250%まで積みあがった政府債務だ。あの竹中平蔵氏をしてさえ、「財政の健全化はどうしても必要です。〜明日にも深刻な事態に陥るわけではありませんが、私は『日本経済全治何年』というより『余命何年』というくらいの危機意識は持たないといけない」(日経8/7)と言わしめるほど。
ゆでガエル≠ヘ、すっかりゆで上がりつつある。アベノミクスとは「実現しないことが政権の選挙での強さと権力を担保している限り、それは少しずつ破局に向かう政治の『時間かせぎ』にしかならない」(吉田 同前)ということだ。

 私たちは問題設定を変えるべきだ(以下、5―7面「戸田代表を囲む会」より)。

 アベノミクスに効果があるかどうか、という話ではなく「さしせまる破局、それとどう向き合うか」という問題設定が必要になるんです。破局というと、「何とか避けられるのではないか」と対策を講じる、と発想しがちですが、そういうことではありません。若い世代は「このままでも明日は来るけれど、その先にあるのは超高齢化社会だ、リストラだ、社会保障の破綻だ…明日は来るけれどその先に未来はない」という感覚でしょう。
 「未来は明るい」と思っていない。そこに「希望」があるんです。破局の先に生き続ける何かを、どう準備するのか。年寄りは「逃げ切り」を考えますが、「逃げ切り」ができない世代は、「その先をどう生きるか」を考えるんです。その破局の時に立ち上がる、むしろチャンスだと思って立ち上がる、そのための新たな社会関係資本をどこまで作るか。これが「さしせまる破局、それとどう向き合うか」という問題設定です。(引用終わり)

「アベノミクスのように、期待値を操作して恣意的に『終り』をみせずに『破局』はないと証明しようとする政治の時間軸に対抗して、『破局』はあるものとすることで、未来を変えることのできる投企的な政治を可能にするのが『破局論』の時間軸である。そして、来るべき『破局』を読み取ることのできる・・・(のは)政策の専門家などではなく、・・・『未来の記憶』を持つ『事情に疎い者』、つまりは生活者でしかあり得ないだろう」(吉田徹「世界」9月号)。

このままでも明日は来るけれど、その先に未来はないという「未来の記憶」から、その未来に向かって自ら「かくあろうとする」、そういう生活者を主権者として登場させることだ。

【「特権的な5%、リスク意識を高め不安定な75%、社会的に排除された20%」という
 分断社会の克服に向けて】

破局を先送りする「時間かせぎの政治」は、アベノミクスに特有なものではない。

「政治経済学者シュトレークは、一九七〇年代の資本主義の構造的なショックをインフレで克服したことが新自由主義を生み、これが金融市場の自由化を進めたことで一九九〇年代の不況を招き、今度はそれを民間部門への債務付け替えで乗り切ろうとしたためにリーマンショックが起きた連鎖を検証し、これらは後期資本主義が破局に向かっている間の『時間かせぎ』にすぎないと喝破した」(吉田 同前)。

このプロセスは、次のようにも描かれる
「市民によって統治され、租税国家として市民によって財政的に支えられている国家が、その財政的基盤をもはや市民の出資によって賄えなくなり、その大きな部分を債権者の信用に依存するようになれば、それは民主的な債務国家へと姿を変える」(シュトレーク「時間かせぎの資本主義」 みすず書房)
この「民主的な債務国家」は「市場」によって、政治的行動を制約される(緊縮財政など)。他方、「国家はつぶれそうな銀行を救済し、この同じ銀行団によって破産寸前に追い込まれる――結果として、金融による支配体制が、当該国家の国民を保護監督下に置くことになる。(「デモクラシーか、資本主義か?」ユルゲン・ハーバーマス 三島憲一訳 「世界」9月号)。

民主主義が定着したのはその理念によってではなく、平等で豊かな中間層を生み出すことができたからである。「市場」によって監督される「民主的な債務国家」の下では、(適切な再分配を行うべき)政治は必然的に劣化し、社会は分断される。経済のグローバル化、とりわけマネー資本主義の拡大と民主主義との矛盾が深まるなか、「時間かせぎ」の政治はいつまで危機を先送りできるのか。

「第2次世界大戦後、英国では基幹産業の国有化と医療・教育の無料化が実現した。戦前のグローバリズム、言い換えれば行き過ぎた資本主義が、ファシズムと共産主義の諸国家を生んだ反省から、国家が資本主義を統御し、民主主義を安定させることが狙いだった。
このような国家のあり方は、他の先進国でも見られた『戦後合意』だった。だが、米国のトランプ旋風やサンダース旋風、欧州の極右や極左政党の台頭は、『戦後合意』が過去のものとなったことを示している」(吉田徹 読売8/12「論点」)

いまや先進国リスクの時代だ。「民主的な債務国家」はグローバル経済を統御できず、社会的分断と民主政治の機能不全に直面している。「戦後合意」を支えた中間層はやせ細る一方だ。

「ダニ・ロドリック米ハーバード大教授は主著『グローバリゼーション・パラドクス』で、『グローバル化―国家主権―民主主義』はトリレンマ状態にあると論じた。
国家主権と民主主義の連結により、グローバル市場に背を向けることはできる。また国家主権がグローバル化と結びつき、民主主義を犠牲にすることも可能だ。あるいは国家主権を犠牲にして、グローバル化と民主主義を選び、グローバルガバナンス(統治)と世界民主主義の組み合わせを構想することもできる。けれども、3つを同時に成立させることはできないという。
これは現代の先進国リスクを暗示しており、ほぼ例外なく民主主義的である先進国の悩みを言い当てている。つまり中国のような一党独裁国やシンガポールのような権威主義国は、主権とグローバル化の組み合わせで前進できるのに対し、先進国は自国の民主主義に敏感にならざるを得ない分、グローバル化が一層深化すると、トリレンマに陥る。
規制緩和と自由化を軸とする単純なグローバル化主義者は、統治権力=国家主権と結び、この民主主義的側面、ならびにそれを行使する中間層以下の人びとを、えてして『非合理』と軽視してきた。EUもまた、複数の統治権力=国家主権を束ねるところまではよかったが、民衆と民主主義を軽んじた。今起きているのは、やせ細る中間層以下からのしっぺ返しである」(遠藤乾 日経7/28「経済教室」)

「グローバル化―国家主権―民主主義」のトリレンマを解消する魔法の杖≠ヘない。だがトリレンマを深刻化させないことはできる。鍵を握るのは社会的な分断状況の克服である。その際に必要となるのは、幅広い生活保障にほかならない。

グローバル経済の下では社会保障制度はまかなえない、というのは本当だろうか。
ここで想起すべきは、「戦後合意」につながる社会保障制度は19世紀末からのグローバル化に起源を持つ、ということだ。「第一次世界大戦前のグローバル化時代にこそ現代の社会保障制度の起源があるという点は強調しておくべきだ。〜中略〜このタイミングを強調するのは、ヨーロッパでの社会保障制度プログラム導入が経済目標の実現と競合するものとは見なされず、むしろそれを補うものと考えられていたからだ」(「21世紀の不平等」アンソニー・B・アトキンソン 東洋経済新報社)

 21世紀の社会的分断は貧富の差や、出自や宗教による差別によるものだけではない。グローバル化の下、国境を超えた形で「特権的な5%、リスク意識を高め不安定な75%、社会的に排除された20%」(「分断された社会は乗り越えられるのか」今井貴子 世界9月号)というように分断され、さらに「リスクの多様化ゆえにそれぞれのグループ内でも連帯が生まれない」(同前)という分断構造になっている。だからこそ、より包括的な生活保障が不可欠になる。

 国家を介して市場経済と民主主義を両立させるという「戦後合意」を、それを可能とした歴史的条件―戦争と革命―なしに改めて履行させるうえで、政治の責務はきわめて重い。

【「時間稼ぎの政治」に対抗する「未来への責任」をどう語るか】

参議院選挙前の世論調査では、アベノミクスを「見直すべき」が61%と、「さらに進めるべきだ」の23%を上回った。消費増税の再延期についても、「社会保障の充実が難しくなったと思う」との懸念が53%に上った(毎日6/22)。それでもなお、「期待値を操作して恣意的に『終り』を見せずに、『破局』はないと証明しようとする」アベノミクスの手法が、選挙で一定の効果をあげられるのはなぜか。

 「『若者は保守寄りで、自民党支持が多い』とニュースが言っていた。たしかにそうだろうと感じる。だっていまの生活を格別変えてほしい、変えたいと思っている若者はそんなにいないはずだ。変わらなくても明日はくるのだから。
 しかし、その明日が来続けた先にあるのは、高齢化社会だ、年金だ、リストラだ、社会保障だ……明日は来るけれど、その先にはなにもない。
 どの党の公約を見ても、この不安や不満は解消されない。解決策が示されてないわけじゃないのに、しっくりこない。物足りないのはなぜか。
 きっと、未来なのだと思う」
(Yamato 19歳 ポリタスhttp://politas.jp/features/10/article/517より)

 時間かせぎの政治に対して、未来への責任をいかに語るのか。そのことが問われている。
 「選挙戦で気になったのは、自民党が『成長と分配の好循環』を掲げたのに対し、民進党も『分配と成長の両立』を打ち出し、経済成長が共通点になったことだ。〜有権者には『どちらが先か』の議論にしか映らなかったのではないか」(毎日7/28「記者の目」小山由宇)。「私はキーワードとなるのは『次世代への責任』ではないかと考える。有権者が求めるのは経済成長の方策よりも、人口減少社会の中で、持続可能な財政や社会保障をどう構築するかという重いテーマだと思うからだ」(同前)。

 求められているのは、対象を選別して「救済する」選別主義から、中間層全体を底上げする普遍主義へという空間軸の転換、そして「時間かせぎ」の政治から「未来への責任」という時間軸の転換だ。ヨーロッパではEUレベルでも各国レベルでも、この転換をめぐる試行錯誤の政治的経験はかなり集積されている。では私たちは、この観点から政権交代の経験をどう語るのか。

「前原 (井手・慶應大学教授の著書を読んで)自分は大きな間違いをしていたと気付かされた。それは、『歳出削減イコール改革』と考えていたということです。本当に必要なところまで削ってしまっては、井手さんのご指摘のどおり、社会の分断をいっそう深めてしまう。

井手 まことしやかに語られる『支出の削減イコール財政再建』は本当か、ということですね。実は、低所得者へのいわゆる『弱者救済』ではなくて、中間層も含めて広くサービスを提供できている国のほうが、統計的に見て税収が大きい。政治的多数が受益者となって、自分の必要を満たしてくれる安心から、税金への抵抗が弱まる。こういう経路があります」(世界9月号 対談 前原誠司・井手英策)

「井手 日本では、これまで『分配か、成長か』という議論になりがちでしたが、今回の参院選では、むしろ『分配と成長の関係』が論点になった。〜その課題設定からの変化じたいは評価したいのですが、結局は成長論議の枠にとどまり、そこで議論は止まったままでした。なぜ野党は思い切った生活保障策を打ち出せないのでしょう。

前原 それは、民進党がもっとも反省すべき点です。〜方向性、キャッチフレーズは正しかったと思います。ただ〜(それぞれの政策は)非常に重要ですが、政策全体の大きな柱、理念自体は打ち出せなかった。〜中略〜
 振り返ると二〇〇九年政権交代選挙の際には〜目玉の政策がありました。しかしこのときも、強力な商品を並べていながら、目指すべき社会像をふまえた、奥行きのある政策にはなっていなかった。〜きわめて生煮えの政策でした。
 もう、こうした失敗を繰り返すことは許されません。あらためて訴えていくべきは、財源論から目を背けない生活保障システムの構築です。消費税引き上げ分の残る2%も、もっと納税者の受益を増やす方向で使途を考え直したい。今回、野党は富裕者増税、企業増税しか打ち出せなかった。所得税、相続税、また配偶者控除、特別控除などもあわせて再検討しながら、『将来不安の払拭』『閉塞からの反転』という大きな柱を掲げる必要があると思います。

 〜中略〜民主党政権は子ども手当の額、またその期間を〜拡大しました。高校授業料の無償化も実現した。しかし、これはまだ完成ではないのです。〇歳から五歳までの就学前教育を無償化し、高等教育も無償化に近づける〜これらふたつを実現するには、消費税一%でよいのです。この一%で、すべての子どもに、チャンスが与えられる。演説会で、『消費税の一%を子どもの未来に使うことに反対ですか』と尋ねると、異を唱える人はほとんどいません」(同前)

「井手 成長に頼るのか。あるいは規制緩和と財政再建を進めるのか。そうではなくて、成長に依存しなくても人間の生活が保障され、そのための財源論からも逃げない〜脱「成長」とも異なる脱「成長依存」。新たな選択肢が見え始めています。
 だからこそ、あえてお聞きしたいことがあります。〜野党共闘の枠組みの中で、このような社会のビジョンはそもそも受け入れられるのでしょうか。(野党の公約では富裕層・大企業を狙い撃ちにするが、それだけでは財源は足りない。)」(同前)

 このままでも明日はくるが、その先に未来はない―この不安や不満に正面から向き合うためには、人々の生活の必要―受益を徹底的に議論するとともに、財源論から逃げないという姿勢が必要だ。税と社会保障の一体改革がやろうとしたのは、そういう転換だったはずだ。

 「次世代を意識してアベノミクスへの対立軸を打ち立てようとすれば、おのずと地道な結論にたどりつくはずだ。自民、公明、旧民主による『税と社会保障の一体改革』の3党合意は、少なくとも未来を見据えていた。民進党は原点に立ち返り、野心的なアベノミクスに対抗するのでなく、増税も視野に入れた財政再建と、家計に安心感をもたらす社会保障の充実を両立できる将来像を描いてほしい」(前出 「記者の目」)

民進党をはじめとする野党、そして野党共闘に問われているのはここだろう。安全保障なら「情勢論」で「とりあえず合意」することもできる(旧社会党がそうしたように)。しかし財源論は、どういう社会をめざすのかという社会のあり方とともに、民主主義のあり方をめぐる本質的なハードルだ。ここをあいまいにした「よい再分配」論は、「このままでも明日は来るけれど、その先に未来はない」という生活者≠ノは、すでに見透かされている。増税反対だけでは、「経済成長依存」というアベノミクスと同じ土俵だ。それなら、50%の投票率で安倍政権が勝つに決まっている。

 「成長に依存しなくても人間の生活が保障され、そのための財源論からも逃げない」(井手 前出)という議論―ガチンコの議論―を、国民の前でどこまでできるか。一度失われた信頼関係を立憲民主主義のフォロワーシップの転換という新たなステージで、もう一度紡ぎ直すことができるか。
このままでも明日は来るけれど、その先に未来はないという「未来の記憶」から、その未来に向かって自ら「かくあろうとする」、そういう生活者を主権者として登場させるための舞台の幕が上がりつつある。

(「日本再生」448号より)
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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」
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◆第27回 戸田代表を囲む会in京都
 「安倍政権の今後と、民進党のめざすもの―立憲民主主義のフォロワーシップの視点から」
 9月21日(水)午後6時30分より9時まで
 コープイン京都 202会議室
 参加費 1000円(学生500円)
 ゲストスピーカー 福山哲郎・参議院議員 泉健太・衆議院議員 隠塚功・京都市会議員

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石津美知子
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