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「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp
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Index 
□反立憲政治を止める!
そして私たちの民主主義を鍛える努力を、さらに!

● 「なんてことをしてしまったんだ」と後悔する前に
  〜国民投票を使いこなす準備はできているか?
● 改憲勢力の議席、三分の二を止める
  参院選は、与党か野党かを選ぶ選挙ではなく、政権を評価する選挙
● 新しい政治をつくる可能性を開く 民主主義のための努力を続けよう
● 「私たち」の民主主義を、さらに鍛えよう

□「囲む会」のご案内 
□真庭バイオマスツアー
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反立憲政治を止める!
そして私たちの民主主義を鍛える努力を、さらに!
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【「なんてことをしてしまったんだ」と後悔する前に
〜国民投票を使いこなす準備はできているか?】

 「なんてことをしてしまったんだ、本当にイギリスが離脱するなんて思わなかった」。国民投票の結果をみたツィートだ。英下院が設けた国会論戦のテーマを募るための電子署名サイトには、国民投票のやり直しを求める請願に署名が殺到、一時サーバーがダウンするほどだった。10万筆で議会審議の検討対象となるが、数日間で集まった署名は390万ともいわれ、さらに増え続けている。今回の国民投票の総数はおよそ3300万。署名には偽造も混じっているようだが、それを考慮しても総投票数の一割近い数の人々が、「やり直し」を求めていると思われる。(ただし「やり直し」は、ほぼありえない。)

 イギリスでは国民投票の後、「EUとは?」がグーグルの検索トレンドで二位になったという。投票結果が出てから「マジで離脱?」、「EUって何?」という有権者の姿を、しかし私たちは他人事とみていられるだろうか。

 今回の参院選の結果、改憲勢力が参院でも三分の二以上の議席を獲得すれば、憲法改正を自己目的化する安倍総理の下での憲法改正の発議と国民投票が、具体的な政治日程にのぼってくる可能性がある。いうまでもなく、国民投票は「自分たちのことを自分たちで決める」という民主主義において、最も重要な決定といえる。だからこそ憲法改正という最重要事項の決定には、両院の三分の二という通常の立法よりも高いハードルとともに、国民投票という手続きが課されている。私たちには、この民主主義を使いこなすだけの準備ができているか。

 為政者自身の統治を正当化する手段として用いられる国民投票は、通常の国民投票(レファレンダム)とは区別してプレビシットといわれる。簡単には白黒つけられない複雑な問題に、最終的に国民自身が白黒をつける国民投票は、時間をかけて議論を重ね、論点を整理したうえで行われるべきだ。そのプロセスをおざなりにすれば、どうなるか。

 今回のイギリスの国民投票は、一方は離脱したらこんなにヒドイことになるといい、他方は移民排斥の感情を煽るという「脅かし合戦」の様相を呈していた。なかでも「EU拠出金が国民保険に支払われる」とか「移民がゼロになる」といった離脱派のキャンペーンは、投票直後に離脱派のリーダー自身が虚偽だと認めるようなシロモノだった。一方キャメロン首相は、ある種のプレビシットで自らの政治的立場を有利にしようとして、「返り討ち」にあったといえる。

 私たちは、近い将来あるかもしれない憲法改正の国民投票を、プレビシットにしてしまうことはないだろうか。国民投票という最高の民主主義を、賢く―少なくとも「なんてことをしてしまったんだ」と後悔することのないように―使いこなす準備は、どこまでできているか。
 だからこそ、この参院選は私たちの民主主義を鍛える重要な機会なのだ。

【改憲勢力の議席、三分の二を止める
参院選は、与党か野党かを選ぶ選挙ではなく、政権を評価する選挙】

 この参議院選挙で改憲勢力が三分の二以上の議席を獲得すれば、安倍総理は任期中に憲法改正に乗り出すだろう。選挙では経済政策を前面に押し出しつつ、「憲法改正は当たり前」という総理。重視する政策として憲法を挙げたのは自民、公明の候補者ではゼロだが、憲法改正について自民党候補は全員賛成、公明党の一部も賛成だ(朝日新聞と東大・谷口研究室の共同調査)。憲法改正に前向きだが、参院選ではアピールしないという与党の姿勢が鮮明になっている。

 二〇一三年の参院選でも、一四年の衆院選でも、安倍総理は経済政策を前面に出して選挙を行いながら、争点化していない特定秘密保護法や安保関連法を「選挙で多数を得た」として成立させた。歴代内閣において積み重ねられてきた憲法九条の解釈も、「たかが一内閣」の閣議決定で変更された。
 今回の選挙でも争点として前面に押し出しているのは、アベノミクスと消費増税先送り。これで憲法改正に乗り出せば、三回目だ。国民を欺くようなやり方で、改憲をもてあそぶ―こうしたやり方に歯止めをかける。これが改憲勢力の議席、三分の二を止める意味だ。

 安倍総理はネット討論会でこう述べている。「谷垣総裁時代に、憲法改正草案を示している。憲法改正は、選挙公約に書いてある」。「自民党は立党以来、憲法改正を掲げている。(改正は)当たり前であります。憲法を変えたいとは思うが、条文は決まっていない」。

 自民党憲法草案は、基本的人権の普遍性、不可侵性を謳った現行憲法97条を削除しているようなシロモノだ。http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdfそんな中身も問わず、改憲それ自体が自己目的化された改憲論が、国会内で大手を振るうことを止める。これが改憲勢力の議席、三分の二を止める意味だ。(「三分の二」という要件は本来、それだけの合意が得られるまでに議論を重ねて熟した案を国民投票に提供することが国会の責任だ、という意味のはず。)

 参院選は与党と野党、どちらがいいかという選択の選挙ではない。参院選では政権は交代しない。参院選で問うのは与党と野党の比較ではなく、政権に対する評価だ。野党のていたらくがどうであれ、「この政権は最善を尽くしているのか」「あの公約はどうなったのか」と、有権者が政権に厳しく問うことは、民主主義の重要なプロセスだ。参院選では、そういう一票を投じよう。

【新しい政治をつくる可能性を開く 民主主義のための努力を続けよう】

 「どうせ、投票したって変わらない」「どうせ、自分たちの声なんか届かない」「どうせ、だれがやっても同じ」…。〇五年総選挙の投票率68%、〇九年総選挙の投票率70%、一三年参院選、一四年総選挙の投票率は53%。この間に約一七〇〇万人の人々が、投票をあきらめてしまったことになる。低投票率では固定化された層しか投票しないため、結果も事前予測どおりのものになる。一票の力を実感できない「どうせ…」がさらに続く。

 投票をあきらめてしまった人々に、どうしたら伝わるのか。どうすれば、「声をあげていいんだ」ということを共有できるか。そういう人たちも、「自分たちも参加できる」と感じられるような場は、どうやったら作れるのか。いっしょに当事者性を育むには、どうしたらいいのか。こうした問いを立て、試行錯誤を重ねるところから、新しい政治への可能性がみえてくる。

 今回の参院選では、こうした民主主義のための努力がさまざまな形で展開されており、それにともなって選挙の風景も、これまでとは違ったものになっている。いうまでもなく、その原動力となったのは昨年の安保関連法反対の運動であり、そこから準備されつつあるのは新しい政治の市民的基盤とでもいうものだろう。
 今回の参院選では、三十二の一人区すべてで「野党統一候補」が立っている。それを可能としたのは政党間の調整ではなく、安保法反対運動から生まれた市民的な基盤にほかならない。それは同時にこれまでの選挙のやり方、選挙の風景、選挙の文化をも、大きく変えつつある。例えばこんなふうに。

「今回の参院選は、どんな選挙になるのでしょうか。  6月19日(日)、その新しい可能性を予感させる光景を、全国各地で見ることができました。たとえば有楽町の駅前広場にて行われた、市民と野党4党首による街宣。
 日曜日の朝にもかかわらずたくさんの人が集まりました。そして、民進党・岡田克也代表、日本共産党・志位和夫委員長、社民党・吉田忠智党首(生活の党・小沢一郎代表は、葬儀のため欠席)と『市民連合』が共に手を取り合い、『みんなのための政治を、いま』とアピールする姿を見守りました。
 この大街宣の特徴は、市民と政治家の一体感。舞台の後ろには、さらにひな壇が作られ、そこに名もない普通の人たち ――若者やお母さんたちが立っていました。また、色とりどりのプラカードを手にした人々が舞台を丸く囲み、登壇者の話に耳を傾け、時には一緒に声を上げました。
 その光景は政治家が街宣車の上から話をし、それを市民は見上げて聞くという、従来の街宣とはまったく違いました。圧倒的に、政治家と市民の距離や目線が近いものになっていました。
 選挙の主役は政治家だけではなく、この国の主権者である『私たち』でもあることを、この目新しい光景は雄弁に語っています。
 『私たち』は政治家に説得され、ただ政治家を選ぶことしかできないわけではありません。
 『私たち』は政治家と言葉を交わし、共に新しい政治をつくることができます。  今、社会は確実に動き出しています。」(http://sealdspost.com/)

 このSEALDs POSTのサイトでは選挙の仕組み、与野党の政策の違い、投票を呼びかけるポスターのダウンロードなど、これまでの政党から有権者に対する一方的な訴えとは違う形で、民主主義のための努力が展開されている。

 あるいは「自由と平和のための藝大有志の会」ではサイト上で、投票を呼びかけるポスター展を行っている(http://www.peace-geidai.com/shall-we-選挙/)。「自由と平和のための京大有志の会」は、多くの共感を集めた昨年の声明を映像化し、選挙期間中にはリレートークイベントを開催する(http://www.peace-geidai.com/shall-we-選挙/)。ほかにも各地で、「新しい政治」にむけた取り組みが行われているだろう。通低しているのは、「私」から始まって「私たち」を形づくろうとする民主主義のための努力ではないだろうか。

 もちろん、こうした努力は参院選で終わり、ではない。「日本再生」でも繰り返し取り上げてきたように、住民自治・市民自治の現場でこそ、こうした民主主義のための努力は日常として継続され、集積されてきたし、新しい政治の可能性とその基盤も自治の現場でこそ定着させ、集積していくべきだろう。それは、一人ひとりの意思と行動から始まり、そのつながりによって支えられ発展していくものだ。 

【「私たち」の民主主義を、さらに鍛えよう】

 イギリス国民投票の翌日、フィナンシャルタイムズのウェブ版に寄せられたコメントが、的確だと反響を呼んだ。

 「三つの悲劇に関する簡単なメモを記しておく。第一の悲劇は、「離脱」に票を投じたのは、経済的に無視されたと感じている、労働者階級であるということ。だが、「離脱」によって引き起こされる、雇用や投資の不足から、短期的にもっとも苦しめられることになるのは、彼らなのだ。この結果は単に、遠く手の届かないエリートと、ほかのものを入れ替えたに過ぎないのである。第二の悲劇は、若い世代がほかの27カ国で生活したり、働いたりする権利を失ったこと。意見が否定された私たちは、EC全域で得ることができたはずのチャンス、友情、結婚、そしてさまざまな経験を失った。すでに先人たちが残した負債のなかで溺れている世代との乖離のなかで、両親、叔父、そして祖父たちによって、移動の自由は奪われたのだ。第三の悲劇は、おそらくもっとも重要だ。私たちは、事実上、民主主義を超えた世界に住んでいる。H.G.ウェルズの小説のなかで、エイリアンの身体に跳ね返される弾丸のごとく、事実は神話の世界で役に立たない。政治家のマイケル・ゴーブ(引用者 離脱派の司法大臣)は言った。「イギリス人は老獪さにうんざりしている」と。彼は正しかったのだ。偏見以外のなにかによって導かれた、反知性主義による支配的な文化の終焉のときを、誰か私に教えてくれないか?」(ハフィントンポスト6/27 6/25「DIGIDAY [日本版] 」より転載)

 イギリス国民投票はイギリス社会の亀裂、分断をあからさまに示す結果となった。そこでの大きな問題は、政治家たちがこうした亀裂や分断をさらに煽ることで、有利な立場に立とうとしていることだ。これは多かれ少なかれ、各国が共通して直面する問題にほかならない。「自分たちのことを自分たちで決める」民主主義を、「私たち」を分断する方向に作用させるのか、それとも多様な私たちを再統合する方向へ、使いこなすことができるのか。

 グローバル化と新自由主義の波によって、国民国家を基盤にした民主主義は、新たな課題に直面している。他方では、多文化共生社会という新しい可能性も始まっている。かつては自明のものと思われていた「私たち」は、グローバル化と新自由主義のなかでのエリートたちと、そこから取り残されたり、無視されていると感じる人々とに分断されている。今走っている亀裂は、国民国家の時代の社会、政治区分とは異質のものである。

 「○○をとりもどす」というスローガン(イギリス国民投票でも、一二年総選挙でも掲げられた)は、こうした亀裂を煽って政治的支持を調達するには「便利」なツールだろう。これをポピュリズム、衆愚政治と批判するのは全く正しいが、そう批判したからといって、現にある社会の亀裂を再統合に向けていく、民主主義のための努力につながるわけではない。
 イギリス国民投票では、離脱派による「デマ」に等しいキャンペーンが展開された。多くのメディアがその誤りを指摘したにもかかわらず、それ自体も「上から目線のエリート」として忌避されるという雰囲気が、社会のなかの一部にはあったという。これは、トランプ現象にも通じるものだろう。

 問題は、こうした「デマ」がなぜ大手を振るうのか、それを抑制する社会の力―カウンターーは、どうしたら作りだせるのか、ということだろう。例えば離脱に票を投じた多くの労働者は、必ずしもポピュリズムに煽られていたわけではない。

 「一般に、EU離脱派陣営は、保守党右派のボリス・ジョンソンやUKIPのナイジェル・ファラージが率いた「下層のウヨク」であり、これは「英国のドナルド・トランプ現象」と理解されていたようだが、地元の人々を見ている限り、こうした単純なカテゴライズは当てはまらない」(ブレイディみかこ YAHOOニュース6/25)

 「ガーディアンのジョン・ハリスは全国津々浦々のワーキング・クラスの街を離脱投票前の1週間取材し、「労働者階級の離脱派を率いているのはUKIPのファラージでも保守党右派のボリス・ジョンソンでもなく、人々のムードそのものだった」と気づいたそうだ。左派ライターとして知られる彼も、ワーキングクラスの街を回るにつれて自らの考えが揺らいできたことを認めている。 
 このワーキングクラスのムードの根底には何かきわめて重大なことがあるのではないかと気づいている左派の人々でさえ、まだ彼らのことを、「自分たちとは違う思想の人々に率いられて崖っぷちに向かっている愚衆。もっと物をわかってくれたら」と考えたがっている。だが、僕が会った人々は実のところ誰にも率いられていない。僕の経験から言えば、これらの人々のほとんどは、ファラージやボリス・ジョンソンを、残留派の人々と同じぐらいに懐疑的な目で見ている」(同前)

 こうした人々に届く言葉を、既存の政治・政党は持ち合わせていない。それは日本も全く同じだ。だから既存の政治や議会が扱える領域は狭くなる一方で、現在と将来の社会の問題は制度の外側、既存政治の外側に広がり続けることになる。いわばこうした既存政治の「死角」になっている、しかし本質的な問題や課題を、個人の自己責任・自己努力の問題ではなく「私たちの問題」として取上げ、共有し、議論を巻き起こし、公的なものに変換していくこと。その不断の積み重ね。

 それは単なるロビイングや政策提言の枠に収まるものではなく、民主主義を不断に鍛え、その担い手やエンジンを繰り返し作り出していくことにつながる。それが、民主主義のための努力の重要な領域になるだろう。

 制度の外側、既存政治の外側の問題は、まずは私的な感情表現として発せられる。感情表現は、同じ思いの人々には共感を呼びやすいが、感情表現に留まれば「ぶつけ合い」になってしまう。その共感を討議可能なものへと変換していくためには、「私たち」の場が必要になる。それが開放的なものであればあるほど、その共感は社会的な広がりを持つはずだ。「煽り」に対する社会的抑制の力を、こうした努力の積み重ね、とりわけ住民自治の場での集積のなかから育んでいこう。

 「公」なるものの名において「私」を均一化する同調圧力としての感情のぶつけあいではなく、私的な感情から「私たち」を媒介として新しい「公」へと架橋していく、そういう主権者運動へ。公共性とは閉鎖性と同質性求めない共同性、排除と同化に抗する連帯である。
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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」
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●第163回・東京・戸田代表を囲む会
「参院選の総括視点」(仮)
戸田代表の提起と討議
7月13日(水) 1845から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 なし(この回に限り)
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第三回 真庭バイオマスツアー
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第三回となる真庭バイオマスツアーを、8月3日から5日(二泊三日)に行います。
今回は @一万キロの木くず#ュ電を軸とした大きな里山資本主義 
A薪ボイラーを軸とした小さな里山資本主義 B田園回帰 を柱とした企画です。
(参照 「「日本再生」444号掲載 中島・銘建工業社長インタビュー)

費用は45000円程度(岡山駅・岡山空港までの交通費は除く)
視察先の例 一万キロのバイオマス発電所 燃料集積基地 原木市場・製品市場 
      中島氏の講演 林業現場(戸田家の森) 薪ボイラーと薪供給システム 
      畜産現場 など

詳細は ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp まで、お問い合わせを

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp