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「がんばろう、日本!」国民協議会
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▼ Index 
□はじまったフォロワーシップの転換 
 それに呼応、連携できるリーダーシップの“始まりの始まり”
 〜「新しい現実」を創る連帯と協働の場づくり

●安倍政権が醸し出す? フォロワーシップの転換
●「新しい現実」を同時多発的に生み出すフォロワーシップの転換、
その合意形成を促していくリーダーシッ プ
●当事者意識を涵養するアリーナとしての地方議会、
 私的関心と公的決定を媒介する場づくり
□お知らせ

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 はじまったフォロワーシップの転換 
 それに呼応、連携できるリーダーシップの“始まりの始まり”
 〜「新しい現実」を創る連帯と協働の場づくり
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【安倍政権が醸し出す? フォロワーシップの転換】

 七月の各種世論調査で、安倍政権の支持率が50%を割り込んだ。特定秘密保護法が成立した昨年十二月に次ぐもので、 集団的自衛権の行使容認に踏み切ったことが要因のひとつだろう。注目すべきなのは、そこに醸し出されているフォロワーシップの転換だ。 「反対派の論拠は、安全保障政策論ではなく『手続き』論にすぎない」という見方では、肝心なものは見えてこない。

 「決定」のプロセスで特徴的だったのは、「安倍話法」ともいうべき「議論のかみ合わなさ」だ。小林節先生は京都・囲 む会で「最近はあれは確信犯だと思うようになりました。話をかみ合わせたら負けるから、かみ合わせない。最後まで土俵に上がらずに、回りを走り回っている感じ」(10面参照)と述べている。

 「『集団的自衛権の行使は可能である』と憲法解釈を変更してしまった以上、時の政権担当者がするのは、『集団的自衛 権を行使するのはこういうことですよ』と説明するだけで、『集団的自衛権が行使できるのか、それをしていいのか』という議論をする必要な んかありません。『憲法解釈変更』の段階で、その議論をする必要がなくなっているのですから」

 「『集団的自衛権行使に関する与党間協議』を見ていると、日本の議論は『説明する側の一方的な説明』だけがあって、 しかもこれが『これはどうですか? これならどうですか?』と選択肢を広げられる値引き交渉に近いものだと思われます。いつの間に日本人 は『議論をする能力』や『議論として成り立っているかどうかを判断する能力』を失ってしまったのでしょう?」(橋本治 7/8朝日)

 国民が当事者として議論する機会、場を持てないような問題提起。ここから醸し出されるのは、それに満足するフォロ ワーシップ(賛成にしろ、反対にしろ「他人事」)なのか、それに満足しない―当事者としての参加を求めるフォロワーシップなのか、という フォロワーシップの分岐の始まりだ。

 すでに議会報告会が標準装備となりつつある地域民主主義の現場では、一方通行の報告にとどまるのか、住民と議員が いっしょに地域の課題を話し合う場、という次のステージが見えているか、という段階にはいっている。フォロワーシップの転換とともにリー ダーシップも、当事者意識を涵養し、参加型の合意形成を促すリーダーシップへと転換しつつある。

 フォロワーシップの転換は、こんなふうではないだろうか。
 「権力は、権力をもたらす。常々そう思っていたけれど、その瞬間をまざまざと見せられた感じがした。
 『僕に任せなよ。僕が決めるから。キミたちもそのほうが幸せになれるよ。だって、キミたちのことを、いちばん考えて いるのは僕なんだよ。キミたちが危険な目にさらされないように、僕がちゃんと考えて、判断して決めるから。何も心配しなくて大丈夫だよ』
 『だって、キミたちを守っている“武器”(=憲法)は、かなり旧式のやつで、使いものにならない。そのことがわから ないのかな? いかなる事態にあっても、国民の命と平和な暮らしは守り抜いていくからさ』
 そんな風になだめられている気がした。そう。先日、集団的自衛権容認の閣議決定を受けて、安倍首相が行った記者会見 である」

 「だが、それ以上に『私たちは、権力者のいいなりになるしかないのだろうか?』と、とてつもない不安と無力感を抱い たのである。
 私の認識が間違っていなければ、憲法は国のルール。『一部の権力をもった人が暴走して、強い立場にいる人の言いなり に、弱い立場の人たちがならなくてもいいようにするために存在する』と、小学校で教わったと思うのだが、それが皮肉にも、権力によって空 洞化した。
 それは権力が占有化された、ことを意味する。権力の占有化は、大きな問題をもたらす。無力化、だ」

 (ユダヤ人虐殺を指揮したアイヒマンは殺人鬼ではなく、「命令どおり動いただけ」という彼の凡庸さこそが悪であるこ とを説き、どんなに批判されても考え続け、発信し続けたハンナ・アーレントを描いた映画「ハンナ・アーレント」から)「絶対的権力による 無力化。無力化による思考停止。考える葦であるはずの人間が、考えるのを止めたとき、悪が生まれる。そう説いたのである。〜中略〜『自分 も考えることを、止めているのではないか?』とアーレントの言葉に耳を傾けながら、自分に問いかけた人が多かったのではあるまいか」(河 合薫 日経ビジネスオンライン7/8)

 考えることは、ときに面倒でしんどい。考えることを放棄して、誰かに委ねればラクかもしれない。でもそれをやった ら、自分の人生のオーナーですらなくなる。「少なくとも、私は、『アナタの幸せをいちばん、考えている』という人を信じない。どんなに惚 れた男でも、そう言われた途端、覚める。幸せは自分で考える。それくらいの頭は、ちゃんとあるぞ…」(同前)

 地域民主主義の現場では、フォロワーシップの転換はすでに実践的に深められ、可視化されている。国政の課題において も、当事者意識を涵養する議論の場づくりとは、そのための論点整理とは、ということを実践的に深めていく舞台が見えつつある。9/14シンポジウム(外交・安全保障)、8/30関西政経セミナー(原発)は、その試みのひとつだ。

【「新しい現実」を同時多発的に生み出す フォロワーシップの転換、その合意形成を促していくリーダーシップ】

 成長戦略第二弾の目玉は「女性の活躍」と「地域再生」だそうだ。しかし、女性の社会進出のため「働く母親のために家事を担う外国人労働者の雇用を可能にする」(英フィナンシャルタイムスへの安倍首相の寄稿)ということでは、いかんともしがたい(「家事を担う外国人労働者を雇える母親」って誰のこと?)。当然、「『産め』の次は『「働け』? 配偶者控除見直し? 安倍政権なに言ってんだ! 保育園整備が先だろ!――ワーキングマザーぶちまけ座談会 」(ダイヤモンドオンライン7/23)という反応が、返ってくることになる。

 実際「女性の活躍」を掲げる一方で、来年度からの新制度で認定子ども園への補助水準が低下するため、運営の見込みが 立たず、認定返上を検討する施設が増えているという。認定返上が相次げば、待機児童の解消に 逆行するうえ、こども園が担う子育て家庭への支援事業まで後退しそうだ。

 もちろん自治の現場では、これまでにも増して知恵が絞られるだろう。子育て支援は、地域の持続可能性のためにも重要な施策だ。 これまでも、さまざまな補助制度を活用して財源を確保し、独自の施策を行ってきたし、国の制度がどうであれ、これからもさらに知恵を絞る だけだ。それでも足りなければ、独自財源で手当てする。それには当然、何かを削る合意形成―優先順位を再定義する合意形成が必要になる。 ここには「女性に産めよ、育てよ、そして、働け、 しかし、母性は重要だ、という矛盾というよりも支離滅裂なことを平気で連呼する程度」(小笠原泰・明治大学教授 ハフィントンポスト7/3)の「議論」の余地はない。

 例えば島根県邑南(おおなん)町の取り組みは、永田町・霞ヶ関・丸の内とは対極にある。邑南町は人口一万強、高齢化 率40%超の過疎のまちだ。日本創生会議の予測によれば、二〇四〇年までに若年女性人口が58%減少すると見込まれる、まさに「消滅可能 性」の自治体ということになる。ところが邑南町は「しこたえております」(出雲弁で「がまんしてやりとげる」)。

 移住策を積極的に進めた結果、ずっとマイナスだった社会動態をついにプラス20に転じ、42・1だった高齢化率の予 測値を40・8に抑えている(いずれも平成25年度の数値)。邑南町の移住策は「日本一の子育て村」をうたうとともに、シングルマザー歓 迎を打ち出して、子育て支援策のみならず、就職や住まいなど、さまざまな面での支援を行っている。これは「女性、子どもの貧困はあっては ならない」との町長の信念と、地域の人々の「おせっかい」にも支えられているのだろう。八つの小学校、三つの中学校すべてに図書館司書を 置くなど、教育環境にも力を入れている。

 「女性」も「地域」(中山間地)も、これまでの20世紀型規模・効率の経済では、条件不利とされてきた。こうした旧 来の経済社会構造の延長で、その活躍や再生は可能なのか。むしろ、規模・効率の経済では切り捨てられてきた多様性、分散性を持続可能性・ 循環性へと組み替えるところから、「新しい現実」が始まるのではないか。若者は都市志向であるという旧来の価値観による「地域拠点都市」 構想や「地方元気戦略」は、3.11を契機に「田舎の田舎」へ若者の移住の流れが始まっているという「新しい現実」に、すでに追い越され ている。

 米大手の中国子会社が期限切れの食肉を使用し、それが大手ファストフードチェーンの製品として提供されていた問題 は、水や食、エネルギーといった生存の基盤をカネで外に委ねている社会の危うさを、改めて浮き彫りにした。「基本的な財であるエネルギーや食料を、地方でどう調達していくか。そのために、荒廃した山村の自然エネルギーをどう生 かすか。そして荒廃した農地をいかに生かして食料自給率を高めていくか。ここに政策的資源をどれだけ入れていくか。ヨーロッパ諸国が普通 にやっていることを、まったくやっていないのが日本です。

 これまでは『安ければいい』ということで海外依存を強めてきましたが、これにブレーキをかけ、転換していく時期ではないか。地域のなかで暮らしを 立てていく、地場産業をしっかり作っていく。海外との付き合い方も、日本の地域の持続性を第一におきながら、必要なところは取引していく 必要があります」(岡田知弘・京都大学教授 4―6面参照)。

 この転換の担い手は、国・中央政府・東京ではなく、地方であり、無数の地域自治の担い手である。そこに必要なのは 「強いリーダーシップ」ではなく、「新しい現実」を同時多発的に生み出すフォロワーシップの転換であり、その合意形成を促していくリー ダーシップにほかならない。

【当事者意識を涵養するアリーナとしての地方議会、私的関心と公的決定を媒介する場づくり】

 来年、二〇一五年四月には統一自治体選挙が行われる。今回の最大の特徴は、東京都知事選がない、ということだ。すな わち永田町の従属物としての都知事選、という目くらまし抜きで、地域の課題をどう取り上げ合意形成をはかるのかという、地域民主主義の力 が試される選挙になる。

 二〇一五年、中山間地域を支えてきた昭和一ケタ世代が全員80代になり、次世代の支え手が待ったなしの課題になる。 そして都市部では団塊世代が全員、65歳以上の高齢者となり、田舎を超える高齢化率の地域(限界団地など)も出現する。「無縁社会」はさ らに深刻になる。

 (衆参国政選挙をはさんで)次の選挙は二〇一九年、二年後にはいよいよ東京も人口減少が始まると予測されている。少 子高齢化・人口減の現実は、これまで以上に急速な変化となって現れてくるだろう。それに備えて二〇一五年の時点では、どこまでの・どのよ うな合意形成を準備しておくのか。
 このような位置づけが見えての選挙となるか、それとも相変わらず、目の前のことだけに終始して四年間をさらに失うの か。まさに自治の力―フォロワーシップとリーダーシップが試される。

 ガバナンスという言葉は「統治」と訳されるが、コーポレートガバナンスが「企業による消費者統治」ではなく「株主に よる経営者統治」であるように、ローカルガバナンスも主権者たる住民が自治体政府を統治する、ことにほかならない。憲法とは何か、立憲主 義で三権分立が機能するとはどういうことか、そこでの主権者の選択―選挙とは何なのか、あるいは議会を機能させるとはどういうことか。こ うした憲法常識(10―14面)が広まりつつあるなかで迎える地方選挙でもある。

 住民主体で「津波防災まちづくり計画」を作った牧之原市では、以前から市民が運営進行する市民討議会(男女協働サロン)を積み重ねてきた。西原市長は、「男女協働サロンは地域の合意形成をはかる新しいボスの仕組み」だと言う(2―3面参照)。地域の合意形成プロセスは、単純な 多数決でもないし、声の大きい人や強い立場の人の意見が通るというものでもなく、フラットな関係のなかで情報を共有しながら、「それなら しかたない」ということも含めて「納得」していくプロセスだ。

 こうした自治の基盤の上にようやく、政党とは何かということも見えてくる。
「〜こうした発想は政党が支持者に利益を もたらすべき存在だと考えているという点で、現実の変化の半分しか見ていない。そもそも政党を通じた利益配分自体が困難になっている以 上、有権者の利害と政党の機能を切り離した、新しい政党像が中長期的には必要なのではないか。
 今後の政党は、@政府の運営のあり方や、政策の将来像についての情報を集め、それを有権者に提示する機能A有権者に それらの情報に基づいた熟議の場を与える機能Bそしてそれを政策決定に反映させる機能を中心に考えられるべきだろう。利害の媒介者ではな く政策をめぐるフォーラムの運営者、あるいは個々の有権者の私的関心と公的な政策決定の空間の媒介者という役どころである」(待鳥聡史・ 京都大学教授 朝日7/9)
 
 これらの機能は、まさに「当事者感覚を生み出すアリーナとしての地方議会」(廣瀬克哉・法政大学教授 「日本再生」 四二〇号)で現に実践的に深められつつある「新しい現実」にほかならない。この集積の上に、政党政治の次のステージを再構築する方向性も 展望されてくるだろう。

 「政党間の差異は、社会の大きな方向性に 関する考え方、情報提供や議論のスタイル、集う人の相性などから生まれ、具体的な政策に関しては当面の優先順位の違いが残るにとどまるの ではないか。明確な理念や政策を掲げ、固定的な支持層を得て長く存続する政党は例外的になる。
 フォーラム化した政党には、より多くの、様々な人々が集まる方が良い。政権と官僚に適度な緊張感を与える効果を含 め、二大政党が多様な有権者をそれぞれ内部に抱えるというあり方が、再評価される余地は十分にある」(待鳥・前出)
 私的関心と公的決定を媒介する場、それは言論空間でもあり、公共空間でもある。そうした場づくりの多様な実践と集積 の一里塚として、来年の統一自治体選挙を準備していこう。
(「日本再生」423号1面より)

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□「囲む会」のお知らせ
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《東京》
◆第141回 東京・戸田代表を囲む会
「世直しは、食なおし。自分の暮らしを取り巻く環境に主体的に参画≠キる。」
9月8日(月)18時45分から21時
ゲストスピーカー 高橋博之・NPO法人東北開墾代表理事、「東北食べる通信」編集長
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
同人 1000円/購読会員 2000円

参照 http://kaikon.jp/concept.html

◆第102回 講演会・シンポジウム
「緊張する東アジア情勢にどう向き合うか〜『戦略なき夢遊病』に陥らないために」
9月14日(日)13時から17時
アルカディア市ヶ谷 6階「阿蘇」
参加費 2000円

パネルディスカッション
中西寛・京都大学教授、大野元裕・参議院議員、李鍾元・早稲田大学教授 ほか

《京都》
◆関西政経セミナー
「“コンセントの向こう”はどうなっているのか
 〜3.11後の原発を、エネルギー自治の当事者として考える」
8月30日(土)13時30分から17時30分
コープイン京都 
参加費 1000円(学生500円)

パネルディスカッション
植田和弘・京都大学教授、大島堅一・立命館大学教授、福山哲郎・参議院議員
佐藤暁・原子力コンサルタント(元原子炉メーカー技術者)

◆シンポジウム
「里山・林業の再生から地域再生・新しい地域経済を考える」(仮)
11月24日(月・祝) 14時から18時
コープイン京都 2階
参加費 1000円
第一部 講演 太田昇・真庭市長、中島浩一郎・銘建工業社長
第二部 パネルディスカッション 太田市長、中島社長、岩ア憲郎・高知県大豊町長、
    諸富徹・京都大学教授、前田武志・参議院議員 ほか

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
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