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▼ Index
□ 「民主政における政党」のありように、向き合う時

【政権選択選挙へ、仕切りなおし】
【都議選:地方政治における政党の存在感も問われる】

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□ 「民主政における政党」のありように、向き合う時


【政権選択選挙へ、仕切りなおし】

 民主党の新代表が選出された。わずかな選挙期間、現職議員のみによる投票など「開かれた代表選」には程遠かったとはいえ、鳩山、岡田両氏による選挙戦が行われたことで、「仕切りなおし」のきっかけをつかむことはできた、といえるだろう。

 直後の緊急世論調査では、マスコミの「鳩山=小沢傀儡」批判にもかかわらず、民主党への支持が予想以上に戻り、「どちらが首相にふさわしいか」でも鳩山氏が麻生氏を逆転し始めている。これは、「政権交代が必要だ」という民意の根強さを示している。
逆にいうと、「小沢問題」以降の麻生政権の支持率回復は、文字通り敵失によるものだったということだ。そして「小沢問題」にもかかわらず、民主党の支持率が底固かったのは、「民主党の現状がどうであれ、民主政のためには政権交代が必要だ」というところまでハラを括った主権者の輿論の支えがあったからだ。

問題はここからだ。「小沢問題」以前の民主党の支持率(上乗せ分)は、麻生政権のスリップダウンによる一種のバブルである。鳩山―岡田執行部で挙党一致を図るということは、こうしたバブルの再来をあてこむものであってはならない。
その意味からも「小沢問題」で何が問われたのか(問われているのか)を、政党として明確に総括する必要がある。回復しつつある支持を「移ろいやすい風」に流すのか、(ルールと約束に基づく)信頼にむけて深めていくのか。新執行部が政党として有権者にどういうメッセージを発していくのかは、きわめて重要だ。

世論調査では岡田氏が鳩山氏を大きく引き離しており、鳩山氏が選ばれた「党内力学」と世論とが乖離している―これがマスコミの見立てだろう。一方で岡田氏が選ばれれば、当事者の意図にかかわらず「反小沢」がことさらに強調されるだろう。「そうではない」という説明はいくらでもできるし、それを誠実に繰り返すことも必要だろう。しかし何よりも求められるのは、そうした構図を圧倒する「有権者に対する政党としてのメッセージ」にほかならない。

民主主義においては、政治家には国民に説明し、納得を得る能力が決定的である。そして政党の責任とは、党首にではなく有権者に対するものであるはずだ。党内政局で党首(総理候補)が選ばれる時代は終わった。「とにかくまとまることが大事だ」では、ガバナンスとは程遠いし、これでは政権運営はできない。これこそが、「小沢問題」で問われた政党としてのガバナンスにほかならない。

西松献金問題をきっかけに設置された「政治資金問題第三者委員会」(略称)の有識者懇談会で、ジェラルド・カーティス氏はこう指摘する。

《以下、引用》
追加であるが、小沢代表の責任について、代議士会を開くと、みなが続投してほしいと言って、一人も反対しない。そういうのは非常に古いやり方であって、そうではなくて、タウンミーティングを開いて、一般の有権者からどうしてあんな代金(大金?)を集める必要があるのか、何に使っているのか、そういった皆が持っている疑問をぶつけてそれに対して答えるべきである。その結果、納得がいくような答えができれば支持は復活するだろうし、納得できない答えしかできないのであればやめるべきである。それくらいのことをしないと党内の代議士が支持してくれているから続投するといっても、民主党が政権をとる可能性はますます遠ざかる。()は引用者
《引用終わり》
http://www.dai3syaiinkai.com/panel_ex03.html

選挙互助会なら、個々の議員が(自分の当選も計算に入れて)好き勝手なことを言う、ということでもいい。そうしたサークル的な未熟さに対して、選挙を仕切る豪腕にモノを言わせて党内をまとめる、というのは選挙互助会の大きな統率力だろう。
しかし政党は選挙互助会ではないし、同好の士が集まるサークルでもない。
討論と説得を通じて、納得・合意を図る。それをルールに基いて行うからこそ、自分の意見と異なる結論でも納得できる。政党はそうした民主政に不可欠なツールである。選挙互助会とは異なる政党としてのマネジメント、ガバナンスが問われるようになったのだ。

《引用 「日本再生」360号 4/8定例講演会での飯尾潤・政策研究大学院大学教授のコメントより》
これは世の中の縮図なんです。世の中にはいろいろな人がいて、「嫌だから別の党」とは言えますが、いやだから国から出て行けというわけにはいかない。その代表である以上、考えが違っても、与野党で分かれても、国から出て行けと言わずにちゃんとルールでやっていくということです。
《引用終わり》

 回復しつつある支持を「移ろいやすい風」に流すのか、(ルールと約束に基づく)信頼にむけて深めていくのか。新執行部が政党として有権者にどういうメッセージを発していくのかが、問われている。そして有権者にも、「民主政における政党」というものに向き合う目線が問われる。

付言すれば、小沢氏がこのタイミングで「辞任カード」を切ったおかげで、自民党内での「麻生降ろし」は封じられた。自民党も「反麻生」や政界再編の小話や目くらましにうつつを抜かす道を断って、「麻生マニフェスト」で総選挙を戦うハラを括るほかはない。
その意味でも、政権選択選挙への仕切りなおしである。


【都議選:地方政治における政党の存在感も問われる】

 おそらく総選挙は都議選の後になるだろう。都議選は総選挙の「前哨戦」と位置づけられるだろうが、だからこそ永田町の代理戦争にすりかえてはならない。

自治体選挙は永田町の代理戦争ではない。まともな自治体選挙であればあるほど、国政に従属せずに、地域の問題設定を自力で行い、有権者が選択に責任を持つということになっている。ここに政党が存在感をもてないと、千葉県知事選挙のようなことになる。(タレント選挙になるのは、政党がだらしないからだ。)

 その意味で、七月三日告示、十二日投票の都議選は転換点として重要である。この都議選は四年前と同じではない。十年目を迎える石原都政の検証という意味でも、またこれから二〇二〇年くらいにかけて急激に進む超高齢社会にどう対応するかという意味でも、かつてないほど争点が明確な選挙となる。

これはこの十年間の石原都政を都民が総括・検証する選挙である。石原都政十年間の延長に、二〇二〇年の東京を描くのか、それとも「このままでは東京で生き続けることはできない」と、石原都政のチェンジから二〇二〇年の東京を描くのか。それを都民が選択する選挙である。そのためにも都議会主要会派は、会派マニフェストをきちんと提示して選挙を戦うべきである。

「『自民か、民主か』という選挙ではない。これは十年後の東京を選ぶ、私たちの選挙だ」。こういう民意を、どこまで掘り起こすことができるのか。ここでも有権者への政党としてのメッセージ力が問われる。この力で投票率を前回(44%)よりも10ポイント以上押し上げることができるか。それが弱ければ「永田町の代理戦争」に流される。代理戦争では、政権交代へ向けた本当の地力はつかない。2010年の参院選、さらには2011年の都知事選(統一地方選)にむけた集積はできない。

投票率が10ポイント以上上がれば、都議会での自公過半数割れが視野にはいってくる。新銀行東京や築地市場の移転問題などで露呈した、知事の追認機関と化した議会を、都民に開かれた議会、機能する議会へとチェンジする道筋が、ここから見えてくる。そういう議会で、地域の問題をきちんと議論することが、政党・会派には求められる。住民の声を聞き、地域の問題設定を自力で行い、討論を通じて問題解決の道筋を探る。そういう地域における政党の存在感が、本格的に問われるような議会にしよう。(国政選挙に系列化された選挙互助会なら、「地方政治に政党は要らない」ということになる。)

きたる総選挙がどういう結果になるにしろ、来年には参院選があり、2011年には統一地方選がある。ここは右往左往せずに、「民主政における政党」というものにしっかりと向き合うべきだろう。
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石津美知子
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