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▼ Index
□「何をあきらめるか」―右肩上がりの惰性から、「足るを知る」21世紀型の選択へ
 「脱炭素社会」への挑戦をマニフェストで政治決定しよう

□お知らせ/定例講演会 
7月は「外交」、8月は「脱温暖化戦略」がテーマ

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「何をあきらめるか」―右肩上がりの惰性から「足るを知る」21世紀型の選択へ
「脱炭素社会」への挑戦をマニフェストで政治決定しよう
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(「日本再生」350号 7/1発行 より)

八年ぶりに日本で開催されるサミットをとりまく国際的な環境は、前回(00年・沖縄)とは様変わりしている。昨年のハイリゲンダム・サミット以降、地球温暖化対策が大きなテーマとなってきたが、ここにきて資源・食料の価格高騰や世界的なインフレ懸念など、新たな問題が浮上している。これらの問題の背景には、世界的な“金あまり”(金融緩和)があり、その根底にはドルの信認低下がある。また食料問題の背景には、バイオエタノールの開発や気候の変動があるように、これらの問題は相互に連関している。

これは一時的な現象なのか。投機マネーの異常な動きが鎮静化すれば、事態は収まるのか。それとも冷戦体制崩壊以降、拡大基調を続けてきた世界経済の構造が大きな転換を迎えているのか。問題設定によって対応は大きく異なる。前者なら「○○緊急対策」でいい。後者であるなら、資源配分や産業構造の抜本的な転換が必要になる。一時的な原油高で漁業者が赤字だというなら、緊急対策の補助金でよい。しかし「海外から好きなだけ食料を買って来られる時代(20世紀型工業社会の高度成長)の終わり」「日本がアジアで買い負ける時代の始まり」なら、農業をはじめとする産業構造の抜本的転換に着手しなければならない。

「○○緊急対策」なら、官僚に立案を任せてもよいだろう。しかし官僚内閣制では、資源配分を変える政策転換の意思決定はできない。その意思決定ができるのは主権者であり、「何をやめるのか」「何をあきらめるのか」を明確にしたマニフェスト(政権公約)による政権選択選挙以外にはない。

サミットを前にようやく日本も、「二〇五〇年に二酸化炭素の排出を60−80%削減」との目標を明らかにした(福田ビジョン)。決意はいいだろう。しかし「二〇五〇年の目標」だけでは、それを実現できるかどうか、今の世代には責任も問われないし、検証のしようもない。またハイリゲンダム・サミットで日本が提唱し各国の合意を得た「二〇五〇年の目標」を達成するためには、「現状立脚型」の積み上げ方式の目標設定では不可能だ。

6%の削減(京都議定書の目標)なら省エネの積み上げでも可能だろう(それでも達成が危ぶまれる状況)。「60−80%の削減」が意味するものは、「脱炭素社会」のような産業革命以来の経済社会の抜本的転換であり、エネルギー革命である。温暖化対策を省エネの問題設定で考えるのか、脱炭素社会の問題設定から考えるのか。現状立脚型の積み上げ方式なら、官僚内閣制の政策過程でも機能する。脱炭素社会への抜本的転換は、工業社会の成長モデルを「捨てる」ことを意味する(物欲の拡大連鎖から「足るを知る」へ)。「何をやめるのか」「何をあきらめるのか」、その選択を主権者に問うところからしか、この政策過程は始まらない。

いまや環境を外部化した経済はありえない。21世紀型競争で問われているのは、環境経済外交戦略にもかかわらず、「環境政策」と「経済政策」と「外交」をバラバラにして、環境省、経産省、財務省、外務省などが何の連関もなく立案し、挙句の果てには「環境対策」と称して道路特定財源まで使うということでは、脱炭素社会への転換をめぐって展開されている国際競争に、ついていくことすら不可能だ。

あるいは社会保障制度が破綻寸前になっているのは、政府の怠慢もさることながら、根底には20世紀型工業社会の福祉モデルの歴史的な限界に、いよいよ直面していることを意味している。ヨーロッパではすでに八〇年代から、その転換は準備されてきた。この間に日本では、社会保障の財源について厚労省と財務省が縄張り争いを繰り返す一方で、道路資本主義への資源配分を続けてきた。まさに「失われた15年」である。

今や問われているのは、「無駄か、無駄でないか」というだけではない。「必要であっても、優先順位の低いものはあきらめる」、その選択が問われている。それを選択するのは主権者の一票である。どんなに立派で有能であったとしても、それを決定するのは政府ではないし、官僚でもない。主権者の一票で選ばれた議会が決定するからこそ、マニフェストできちんと契約しなければならず、有権者は選挙結果に白紙委任したのではないことを示すために立案過程、決定過程、執行過程に常に参画しなければならない。

 「暫定税率を廃止する、その分は(地方には)もう来ない、ガソリンが二十五円下がるとはそういうことだと、はっきり言うべきなんです。(それで地方もどう覚悟をするか。)ある意味でこれは、これからの日本の政治の練習なんです。こういうことを本当に言える政治家、政党を信用すべきで、何となくバラ色みたいなことを言っているのは嘘だと。〜中略〜苦い薬を飲みながら、それでも前に進むか、それとも今のままぬるま湯につかっている方がいいか、そういう判断を迫られる」(小川淳也衆院議員「日本再生」三四八号)。

 すでに厳しい財政状況に向き合わざるをえない地方では、ローカルマニフェストで「何をあきらめるのか」の選択を市民に問わざるをえない。行財政改革を徹底して推進してきた首長は「次の選挙では『何をやめるか』をマニフェストに書く」と言い、あるいは「何を削るか、ここで責任を分かち合えるのか」と議会に問いかけている。

「失われた15年」に続く「失う10年」としないためには、「何をあきらめるのか」を選択しなければならない。20世紀は限りなき欲望の充足が第一とされた時代であった。21世紀は、これまで以上に責任ある形で自然や社会と向き合う生き方を選択する時代である(佐々木毅「ポスト資本主義社会の構図」日経「経済教室」参照)。「何をあきらめるか」とは、その選択にほかならない。20世紀の惰性を続ける無責任の連鎖に、われわれと子どもたちの未来を委ねることはできない。決定するのは私たちだ。主権は国民にあり、お任せ民主主義の鉄鎖以外に失うものはない。

脱中央集権、脱官僚、脱無党派主義―このなかでわれわれが得るものは自治分権・地域主権の主体性であり、パブリックの責任を分かち合う社会的連帯であり、共感である。次期政権選択選挙をこのような土台の上に準備しよう。

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お知らせ 定例講演会
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会員 1000円/一般 2000円

□第83回定例講演会
「激動的動きのなかでの、日本外交の課題を考える」
講師 添谷芳秀・慶応大学教授
7月3日(木)18時30分より
総評会館 203室

□第84回定例講演会
「民主党の脱地球温暖化戦略」
講師 福山哲郎・参議院議員、民主党地球温暖化対策本部事務総長
8月1日(金)18時30分より

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
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TEL 03-5215-1330 FAX 03-5215-1333