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メルマガ♯がんばろう、日本!         106(07.11.10)
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「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp
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▼index

□ 官僚内閣制から議院内閣制へ 政党間競争の知恵をしぼれ
◆未体験ゾーン、第一幕から第二幕へ
◆第一幕の教訓1 官僚内閣制と議院内閣制はどこが違うのか
◆第一幕の教訓2 政党のマネジメントは前進したか
◆政権選択選挙への道筋を確かなものにせよ

□ お知らせ
◆定例講演会「二期目を迎えた胡錦濤政権の課題」
◆07年「望年会」
◆第五回大会 記念シンポジウムと懇親会 など
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官僚内閣制から議院内閣制へ 政党間競争の知恵をしぼれ
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【未体験ゾーン、第一幕から第二幕へ】

参院選の結果、衆参両院の議決が異なる=両院の協議なしにいかなる法案も成立しない、という状況で、どのように政治を動かしていくのかという未体験ゾーンにはいった。これは、これまでの官僚内閣制のシステムから脱却することなしには立法府が機能しなくなったということ、いいかえれば、議員・政党が官僚内閣制の振り付けに頼らずに自力で議論せざるをえない舞台を、有権者が与えたということにほかならない。

この間永田町では、安倍総理の突然の辞任、そして小沢民主党代表の辞任騒動と、役者の力量不足を露呈させ続けてきた。もとより主権者運動の問題設定は、「ふさわしい役者がいるかどうか、ではなく否応なく既存政党をこの舞台に『迫り出す』」というものである。この観点から一連の事態を第一幕として総括し、第二幕へと舞台を回していくべきである。

「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)は11月6日、『「現下の政治情勢に対する緊急提言」を発表し、「新しい国会情勢を踏まえた新しい政治慣行の創造」と「規律ある政党政治の実現を両立させ、次の総選挙を「政権選択選挙」とする道筋を確かなものとする』とするための提言を行った。(http://www.secj.jp/より)
既存政党を『迫り出す』ための、主権者からのアプローチとしてきわめて時宜にかなったものといえる。

第一幕の混乱は、国会の「ねじれ」が原因なのか?断じて否である。「ねじれ」を理由に「政治が動かない」と決め付け、議会外の協議によって対決(政策論争のガチンコ勝負)を回避しようとすることこそ、議会政治、政党政治の自殺行為にほかならない。この点で、現時点における大連立構想は、いわば官僚内閣制の下での与党審査システムを、無原則に与野党間にまで広げようという類の話であって、これでは決別したはずの55年体制の政治スタイルへの逆行にほかならない。

小選挙区制、マニフェスト、政権選択選挙などの枠組みは、国民主権の内実を実態化するために、十数年かけて国民が築いてきたものである。しかしこの“共有地”を守ろうとする意思は、永田町・既存政党においてはきわめて脆弱であることが、今回の大連立騒動で改めて明らかになった。そのなかで、民主党が党の機関決定という形でこうした大連立を明確に否定したことは、ここまでの政治改革―政権選択選挙の歩みを後戻りさせない意思が政党として確認されたという意味で、評価できる。今回の騒動で民主党が失った信頼を回復するには、この点を外してはない。

第一幕の混乱は、第一義的に政権党の責任である。給油問題が国益に関わる重要課題であるなら、衆院の三分の二で再可決することを視野に国会日程を組み立てるべきであった。両院の議決が異なる状況は今後も続く以上、憲法で定められた衆院優越の権限を行使しない理由はどこにもない。政治を動かす第一義的責任は、政権党にある。政治が動かない原因を野党に帰するようなことは、政権政党の地位と責任を放棄するに等しい。行使すべき権力を行使しないことこそ、無責任政治にほかならない。

議院内閣制の外形をとりつつ、その実質は官僚内閣制として運営されてきたことが、いよいよ機能不全として露呈しているのが現在である。官僚内閣制の慣習にとらわれたままでは、いささかなりとも政治を動かすことはできない地点に来ていること、政治を動かすためには議院内閣制を作動させる仕組みを作る以外にないこと、これは官僚機構の仕事ではなく政党政治の役割であること。この領域に対する無理解と及び腰こそ、第一幕の混乱の原因である。

【第一幕の教訓1 官僚内閣制と議院内閣制はどこが違うのか】

とはいえ第一幕は、「官僚内閣制と議院内閣制はどこが違うのか」に関するきわめて実践的な“気づき”に満ちている。

例えば、政策協議と連立協議について、その仕分けが一定の共通認識となった。

馬渕議員のメルマガより

 小沢代表の辞任表明騒動で、たちまちメディアは民主党内政局の報道一辺倒になってしまったが、そもそも「連立」、「政策協議」とはいかなるものであるかの共通認識がなければ議論にならない。
小沢代表の辞意撤回で再スタートを切る民主党としては、この点は明確なコンセンサスが必要であることはいうまでもない。
「政策協議」は今日も行われている。 そのひとつが国会審議であり、審議に上がる前の理事懇あるいは筆頭間協議など非公式な場での政策協議は日常的に行われている。それを、ねじれ国会で、政策協議が必要だ、法律が一本も通らないなどというのはまったくの為にする話でしかない。政策協議は常に行っており既に本国会でも閣法8本、議員立法2本の計10本の法案が衆院を通っている。17年度決算3本の決議もされている。中には全会一致のものもあり民主党が何でも反対しているかのごとき報道は事実無根だ。
そして「連立」。 連立とは二つ以上の政党からなる連合政権の一形態。当然ながら一般的には連立は連立内閣を示し、二つ以上の政党で内閣を構成することすなわち大臣を出すということになる。 このことと政策協議は別の話である。連立となると異なる政党が協力して内閣を構成していくわけだから選挙についても協力というところに踏み込まざるを得ない。そこで選挙調整などが求められる。すなわち、「連立」とは「選挙調整」もしくは「選挙制度見直し」にまで自動的に進んでいく危険性をはらむスイッチを押すことになるのである。
したがって当然ながら、二大政党制で非自民政権を目指す民主党の選択肢に「連立」はない。
いろいろな可能性を否定する気はない。しかし、政策協議の一環として連立などというところに踏み込んだとき、選挙調整などあらぬ方向に進むことを肝に銘じておかねばなるまい。
(11/7 引用終わり)

民主党が連立を拒否した、ならば今後は話しあい路線から対決路線か、などと言われるが、そもそも官僚内閣制を前提にしたところでは、話し合い=与党審査の無原則的拡張、という類のものでしかない。議院内閣制の話し合いをやろうとすれば、与党審査などというものはやめて、国会で与野党が議論して修正する、与党修正だってあっていい、ということになるべきだろう。政策協議と決定の実質を、国会外の非公式な場で行う「話し合い」では、国会の空洞化に拍車をかけるだけである。
「国会論戦の活性化―立法府の機能強化のための政党間協議であって、逆ではない」(『日本再生』341号10/1)という意味が、一連の事態を通じて実践的に共有されつつある。

国会の場における徹底した与野党の議論を通じて、「与野党で修正合意できる課題」と対立が残る課題を仕分けすること。対立する課題については、「両院協議での合意」あるいは「衆院の再可決」という手順を踏んで、議院内閣制を作動させる話し合いのルールや仕組みをつくることこそ、求められている。このプロセスのなかからこそ、熟議を尽くしてもなお残る対立点とは何かを整理し、総選挙で国民の信を問うべき対立点を絞り込んでいくことが可能になる。これが議院内閣制の下での「話し合い」路線の意味にほかならない。

ここにきて、改正被災者支援法、改正労働基準法、改正最低賃金法などが与野党協議によって成立した。与野党で合意すべき課題と与野党で対立する課題の仕分けが、ようやく見えてきつつある。これが第二幕の始まりだ。国会での徹底した論戦を通じて、「修正合意できる課題」と対立する課題を整理し、選挙で国民に信を問うべき争点を絞り込んでいくこと、が求められている。

「ねじれ」国会のメリットは、官僚内閣制の惰性が許されなくなり、議院内閣制の緊張感が政治にもたらされることである。例えばシビリアンコントロールが欠如した防衛省、肝炎の情報隠蔽を続ける厚生労働省の実態が明らかになったのは、「ねじれ」のおかげだろう。あるいは国会同意人事には衆院の優越がないため、民主党の同意が不可欠であり、民主党の要求を無視することができなくなった。そこで、各種審査会委員の厚遇ぶりや天下りの多さが明らかにされている。

《議院内閣制では、民主政における代表あるいは代理関係が一貫しており、ひとつの連鎖を持っていることが決定的に重要なのである。〜中略〜有権者から国会議員・首相・大臣・官僚と権限委任の連鎖が生じるところに、議院内閣制が一元代表制となり、また民主制の一形態であることが理解できる。この連鎖によって、たとえば官僚の行動を有権者が最終的にコントロールできる可能性が生まれるのである。飯尾潤『日本の統治構造』中公新書》


【第一幕の教訓2 政党のマネジメントは前進したか】

一連の騒動で、民主党がこうむったダメージは小さくない。しかし一方で、民主党が新進党解散の二の舞を繰り返すことなく、政権選択選挙で政権交代という原則を明確にして党としての結束を保ったことは、政党のマネジメントの面での一歩前進であるといえるだろう。

岡田克也議員のメルマガより

「かつての民主党だったら、いろいろな意見があちこちから噴出して収集がつかなくなったかもしれない。しかし、今回はそういった異論噴出という事態もなく、きちんと最終的に収まるところに収まった。まとまった。これはちょっと驚きですね」と(記者から)言われました。
実は、私もそのことを非常に強く感じています。多くの党所属議員に対して、テレビ局などから出演依頼もありましたが、それも最小限に絞り込んで、なるべくいろいろな意見が勝手に外に出ないようにする、皆が自制して、何とか小沢さんに代表を続投していただける環境を作っていこうということが今回出来たことは、私は素晴らしいことだと思います。
数年前の民主党では考えられないことで、政権交代するためにお互い何が必要であるか、そのことをきちんと自覚して、そして行動できる、そういう議員が圧倒的に多くなったということが、今回の一連の事件の中ではっきりしたことではないかと思います。
(11/9 引用終わり)

大きく変わったことの第一は、選挙での有権者との約束を果たす(参院選で「逆転の夏」と約束した)、それに対する説明責任を果たす、という点で党所属議員の一致が図られたことである。小沢代表に対する不信や疑念、手法批判といった類の異論、批判といったレベルは卒業しつつある。

小沢氏に対する態度論ということでは、私党はできても、政党(的組織関係)はできない。
マネジメントとは多様な意見、距離感の違い、スタンスの違いを一定の方向性、共通の目的に向けてまとめあげていくことである。平時の熟議の度合いが、危機管理、ダメージコントロールの局面では如実に問われる。民主党は選挙で政権交代するためにはどういう規律=マネジメントが必要かを学んだはずである。

寄り合い所帯といわれてきたバラバラ感に「タガ」をはめたのは、ひとつは「小選挙区制」の蓄積であり、いまひとつは「有権者との約束(とりわけ直近の参院選での)」である。言い換えれば、政権選択選挙の生活感覚、それから生じる規律感覚が、個々の議員レベルのみならず一定の集団的規律として定着しつつあるところにきた、ということだ。

これによって第二に、機関決定に従う党首、というものがはじめて出現した。大連立構想に至る経緯はいろいろ言われているが、小沢氏が党首会談での提案を持ち帰って役員会に諮ったこと、役員会で否決されたので首相に断ったことは、いずれもきちんと手順を踏んだものである。続投について「いまさらなにを」という声もあるが、むしろ個人の決断よりも党の総意に従う、党代表というものは個人の都合で勝手に辞められるものではないという、新たな規律ができたというべきではないか。

第三に、一連の騒動を通じて、小沢氏の危機感(参院選の延長で政権交代はありえない)を改めて党所属議員、候補者が共有したことである。いいかえれば、小沢氏に対する不信や疑念の表明ではなく、フォロワの責任と自覚としてこれを受け止め、「だからこそ、代表としての責任を」とリーダーに要求するという、リーダー・フォロワー関係が生まれつつある。強いリーダーシップとは、個人の資質によるものではなく、責任あるフォロワーシップによるものであるという常識が理解できる環境は、社会的にも生まれつつある。

きわめて初歩的ではあるが、新進党の解散から十年にしてようやく、政権交代をめざす野党というものが、ご都合主義的な寄り合い所帯ではない存在感を獲得する一歩を踏み出そうとしている。

政権選択選挙の経験を積んできた有権者の、政治に対する視線は明らかに変わりつつある。参院選後のサイレントマジョリティーは、「民意とのズレをどう修正するのか」「そのためのマネジメントがどこまでできるのか」を注視してきた。安倍総理の突然の辞任、今回の小沢氏の辞任騒動は、政権選択選挙が前提となったダメージコントロールがどこまでできるのか、という形でそれぞれのマネジメント能力が実践的に試されるものだったといえる。

【政権選択選挙への道筋を確かなものにせよ】

「ねじれ」を理由に政治が動かないというのは、政党の怠慢にほかならない。むしろ「ねじれ」を、国会の活性化―議院内閣制の立法府を作動させるための好機とすべきである。いかなる法案も両院の協議なしには成立しない、という状況は議員が徹底して議論して、妥協の知恵を絞り、それでもなお残る対立点は何か、総選挙で国民に信を問うべき争点はどこかを国民の前に明らかにするための、格好の舞台である。

大連立や党首会談は、一般論としては否定されるものではないが、今問われているのは、委員会での修正協議や両院協議会での合意、それができない場合には衆院での再可決という、憲法に規定された手順を踏んで政治を動かすことである。それを省いて一気に大連立や党首会談というのでは、密室といわざるをえないことになる。

「ねじれ」は最終的には、政権選択選挙をくりかえすなかで決着をつけるべきものである。(一発勝負では決着がつかないことを覚悟し、その胆力を有権者も政党も鍛えるべきだろう。)そのためには、いかなる法案も両院の協議なしには成立しない、という状況のなかで政治を動かすための、議院内閣制を作動させる仕組みを一歩一歩構築していかなければならない。その努力を省いて、政党間の「談合」で「ねじれ」を解消しようとする試みは、民主主義の否定につながる。選挙での国民の選択とは関わりのないところで、政権の枠組みが変わったり首相が交代するということを、これ以上繰り返すべきではない。

この意味からも、先の総選挙以降、安倍政権、福田政権と国民の選択とは関わりなく首相の交代が繰り返されてきたことは、決して望ましいことではない。福田政権は、総選挙で国民の信任を得て正統性を獲得することを恐れるべきではない。そのためにも、衆院での再可決という憲法上の権力を堂々と使うべきである。緊急避難型の政権運営に徹しているかぎり、政権党として政治を動かすという責任能力は退化するばかりである。

衆院での再可決に対して、野党が参議院での問責決議で対抗するという見方があるが、問責決議に憲法上の根拠はない。議院内閣制を作動させる衆院優越の仕組みを確立するためにも、問責決議を恐れて憲法上の政治権力の行使をためらうべきではない。「ねじれ」は短期間には解消されないだろうということを考えれば、議院内閣制を作動させるための両院の関係、役割を明らかにするためにも、このプロセスは必要だろう。

この攻防は結局、どちらが国民を納得させられるかの競い合いである。衆院再可決に国民の納得が得られるなら、参院も簡単に問責決議は出せなくなる。この土俵で勝負することを恐れるところから、行使すべき権力を行使しないという無責任政治がはびこることになる。これでは、政局運営においても野党の敵失や混乱に乗ずることばかりを考えるようになってしまうだろう。

 こうした政党の液状化に歯止めをかける唯一の道は、選挙を戦いぬくことである。政権選択選挙の形式が「タガ」となって、民主党には新たな求心力が生まれつつある。自民党も、解散を先延ばしして延命を図るということではなく、明確な政権構想を掲げて政権選択選挙を戦いぬくことに集中すべきだ。

 与野党、とりわけ自民党と民主党はこの国会論戦を通じて、政権選択を問うべき課題、争点を絞り込み、国民の前に提示して、政権選択選挙への道筋を確かなものとすべきである。

□◆□ お知らせ □◆□
《選挙》
● 我孫子市議選  11/11告示 11/18投票  久野晋作同人が二期目に挑戦!

《第79回定例講演会》
「二期目を迎えた胡錦濤政権の課題」
11月15日(木)18時30分より
アルカディア市ヶ谷(私学会館)5階「穂高」
*日本をよく知る中国人研究者によるパネルディスカッション
参加費 会員1000円  一般2000円

《07年度望年会》
12月6日(木)午後6時30分より
アルカディア市ヶ谷(私学会館)3階「富士」
会費 6000円

《第五回大会》
08年1月6日(日)午後1時より
アルカディア市ヶ谷(私学会館)
○記念シンポジウム(第一部・第二部)
○懇親会 (シンポジウム終了後)

◆望年会、大会とも、会員以外の方も参加できます。
ぜひお誘いあわせてご参加を!

《機関紙「日本再生」 342号 11/1》
構造改革の継続と国民本位の政治の安定を実現するためには、
機能停止しつつある官僚内閣制に替わって議院内閣制を作動させること
―政権選択選挙の課題

******************************* 石津美知子 「がんばろう、日本!」国民協議会 http://www.ganbarou-nippon.ne.jp TEL 03-5215-1330 FAX 03-5215-1333