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□自治分権の確かな一歩を踏み出そう
□お知らせ
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【自治分権の確かな一歩を踏み出そう】

 今年の統一地方選は、分権改革の第二ステージをいかに開くかという攻防になる。一九九九年の地方分権一括法は、国と地方自治体を上下・主従の関係から対等・協力の関係とする「歴史的転換」点となり、分権改革の第一ステージが幕を開けた。改革派といわれた知事が脱中央集権、脱官僚を推進し、改革派市長が個性的な自治体改革を推し進めた。

小泉政権下での「三位一体」改革は、三兆円の税源移譲を成し遂げたものの権限移譲はほとんど進まず、きわめて不十分なものであったが、補助金や公共事業の見直しは、改革を進めてきた自治体と旧態依然の依存体質の自治体との“格差”を明らかにした。またこの税源移譲によって、ほとんどの勤労者にとっては今年から、国よりも自治体に納める税金のほうが多くなる。「誰がやっても同じ」という「三割自治」の時代には考えられなかった、自治体の質が生活の質に直結することを実感する時代が始まることになる。

「納税者の視点に立つ改革を目指す首長と議会を選び、税金の使途と結果を十分説明する財政情報の公開や、住民の監視と住民参加を強める自治体にするのか。それとも、旧態依然の感覚しかない首長と議員を漫然と選び、税の使い方を実質的に自治体の官僚組織に委ねてしまうのか。それを選ぶのが、今回の統一選になる」(読売1/4「解説」青山彰久)

 こうした自治分権のリアリズムから遠い度合いに応じて、市場経済の実際から遠い、依存体質の生活だということになる。統一地方選をめぐる実態を見れば、東京とくに二十三区が、もっともその実感から遠いことは明らかである。宮崎、北九州、愛知さらには鳥栖など、地方ではローカルマニフェストを掲げた選挙戦で投票率が大幅にアップし、住民の意思が明確になる選択が行われている。自治分権をめぐる主体格差―政治市場の格差は、きわめて鮮明になっている。

行政内部での「国から地方へ」という官治分権の段階から、住民自らが決定に参画し責任を分かち合う自治分権の段階へ。その確かな一歩を踏み出すことが、この統一地方選の課題である。

 分権の核心的意義は、自治体運営にかかわる権限、財源を市民のコントロールが効くところに置くということである。夕張市の財政破綻の責任は、放漫経営を放置した首長、それをチェックしなかった議会とともに、漫然と彼らを選んできた市民にもある。しかし同時に、市債の発行は国、県の許可なしにできないという制度では、市は自立した自己決定のできない「禁治産者」にも等しい位置づけとなる。自らの責任で借金をする、ということになってはじめて、どうやって返すのかまでを本当に考えることになる。

そうしてはじめて、「補助金をどうもらうか」ではなく、「自力で稼ぐためにどうするか」という知恵が働く(知恵が働くものと働かないものの格差が明らかになる)。三位一体改革で増えた税収を漫然と「お役所仕事」に使うのか、一千万の予算で五千万の効果を生むような仕事のしかたを考えるのか。市民のコントロールが効くということは別の言い方をすれば、市場経済を生活で共有することが前提になった世界の常識に合わせる、ことにほかならない。

自治の仕組みが機能するための基本は、選挙である。選挙を通じて住民が何を選択したのか、その意思が明確にされなければならない。ローカルマニフェストは、その重要なツールである。「有権者に政策を示し、マニフェストを提起できなければ選挙戦はもはや戦えない。さらには、後だしもありえない。一つの陣営がマニフェストを提起し政策選択選挙を挑んできた場合、身内を如何に固めるかに終始すれば、いわゆる無党派層を獲得できないだけでなく、肝心の身内の一部からも見放される。これが福岡市長戦・宮崎県知事選そして北九州市長選と引き続く選挙で、時間を経るごとに鮮明になっている事実である」(加藤同人の報告)。

 また市民のコントロールが効くためには、議会の役割が決定的に重要になる。議会は自治体の意思決定機関である。そこが「何をしているのか分からない」「誰がやっても同じ」では、自治分権は進まない。

 各地で首長の関係する談合が摘発された。首長が襟を正すことは当然だが、不正をチェックできるかどうかは、首長の自己規律という次元の問題ではなく、議会が二元代表としての最低限の役割を果たしているかという問題である。公共事業案件は金額、受注業者とも議会の承認事項であり、議会がスルーせずにちゃんとチェック機能を果たしていれば、どこかで防げる問題である。さらに一般競争入札で金額を抑えることよりも、何のためにどういう事業が必要なのか、という政策立案過程を議会がきちんと担うことのほうが、よほど重要である。安いだけの大手ゼネコンに任せるのがいいのか、(多少金額は高くなっても)周辺環境を熟知しメンテナンスにも継続的に責任を負える地元業者のほうがいいのか、という政治判断を市民に開かれた場で行うことが、議会本来の責務であろう。

自治体の意思決定がどのように行われたのか、それを市民にオープンにして説明責任を果たすことが議会の役割だ。二元代表制の首長と議会は「車の両輪」では困る。首長と議会がいつも同じ方向を同じスピードで走っていたら、なぜA案でなくB案になったのか、そもそも複数の選択肢が検討されたのかなど、意思決定過程が市民には見えないことになる。

また議会が決定的に重要なのは、首長は一人なのに対し議会は(住民に選ばれた)多数の議員が、討議を通じて合意形成をはかるところにある。政策立案は、議会の総意となってはじめて意味を持つ。そのためには、異なる多様な利害をより高いパブリックの次元からまとめていく、というプロセスが不可欠になる。異なる利害をそれぞれ代弁するだけなら、あるいは個々の議員が執行部に提言するだけなら、どこまでいっても、一人で全権を握る「大統領的」首長の前での「陳情政治」の延長にすぎないということになる。

会派マニフェストは、この領域への挑戦である。そしてここから、本来の意味の政党―地域をどうするかについての政策的統一をはかることができる―の初歩的基礎が始まることになる。選挙のたびに、あるいは代表が変わるたびに「チャラ」になるマニフェストなのか、政策的統一を一歩一歩蓄積していくマニフェストなのか。こういうこともリアルになってくる。

 市民の自治能力も問われる。教育改革は分権の大きなテーマである。国の統制、関与を強化するのか、それとも現場に権限と責任を持たせるのか。いじめが大きな問題になっているが、何が「適切」で何が「適切でないか」を霞ヶ関が判断できるだろうか? それこそ現場が一番よくわかるはずであり、またそれが適切であるかないかを判断するのも、霞ヶ関ではなく保護者・地域であろう。学校評議委員制度など、分権を進めることで教育を立て直そうとすれば、教師、保護者、地域の「常識」と自治能力が問われることになる。「誰かがやってくれるだろう」とか「教師や役所に文句を言えばいい」で済ませることができない、自治に責任を持たざるをえないステージだ。ここから無責任でいられるのは、根なし草だけである。

 自治分権の確かな一歩を踏み出すことで、脱官僚、脱中央集権そして脱無党派の「三位一体」から、次の新たな政治市場のステージを切り開こう。

以下、「日本再生」334号一面へ続く

□◆□お知らせ□◆□

【日本再生 334号】
□総会報告/北九州市長選報告
□一灯照隅 江田健治・白井市議/上村崇・京都府議
□インタビュー 石川良一・稲城市長/井崎義治・流山市長
□関西政経セミナー 「07年の外交課題」 中西寛・京都大学大学院教授

【書籍紹介】
『稲城の覚悟』石川良一(稲城市長)
* 稲城を「首都圏注目度1の街」にした石川市長が、武道仲間である
松原隆一郎(東大教授)、東孝(大東塾代表師範)とともに、「日本人の品格」と
「まちづくり」について語り尽くしたもの。
* 07年1月発刊。1365円(税込み) 発売元:ウエイツhttp://www.wayts.net/

【選挙】
□台東区長選 3月11日告示 18日投票  
中山ひろゆき さんが、マニフェストを掲げて戦います!
http://www.n-hiroyuki.jp

□3月30日からは統一地方選 前半が始まります!
同人を中心に各地でローカルマニフェスト型選挙を推進します!
自治分権の確かな一歩を踏み出そう!

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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp
TEL 03-5215-1330 FAX 03-5215-1333