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劇場型政治の終わり
官邸主導は、個人技からチームプレーへ

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▼index
□ 劇場型政治の終わり 
官邸主導は個人技からチームプレーに
独立変数としての主権者運動の問題設定
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 「論功行賞」「派閥均衡」「仲良し内閣」。安倍政権に対するこうした評価は、評
論としてはそれぞれ当たっているだろう。しかしここから国民主権の深まりが触発さ
れるかといえば、答えは明らかにノーだ。

 小泉政権の退場は、劇場型政治の終わりでもある。〇一年の小泉内閣誕生から、政
治ネタがワイドショーのテーマ・ランキングのトップを占めるようになった。この延
長から見ていれば安倍政権になって「政治はおもしろくなくなった」となるのは当然
だろう。こうした観客民主主義から脱却できるのか。これが「ポスト小泉」の舞台に
問われる課題である。「テレビ政治」を批判しながら「テレビ政治」の土俵で有権者
受けを競った政党や議員では、観客民主主義からの脱却を有権者に問うことはできな
いのは当然だ。

 劇場型政治を可能にしたのは、小泉総理の強烈な個性であり、独特の政治的勘で
あった。これは「余人をもって替え難い」ものである。かといって、小泉以前の自民
党―派閥コンセンサス型―に先祖帰りすることはできない。そこで、小泉総理の個性
によっていた官邸主導を、個人技からチームワークへと制度化する。これが安倍政権
―チーム安倍の問題設定だ(例えば、世耕弘成『自民党改造プロジェクト650
日』)。

 安倍政権の人事(党、内閣とも)は、これをよくあらわしている。「仲良し内閣」
「論功行賞」と言うが、第一に、補佐官や党役員の配置にみられるように、官邸主導
が個人技からチームプレーとなったことが見てとれる。第二に、誰をどのポストに就
けるかということから、「この内閣が何をどのようにやろうとしているか」という意
思が伝わってくる。後は政策イシューのマネジメント、政権運営のハンドリングがこ
の体制でどこまで、そしてどのように機能するか、であろう。

 半年前には、同じく戦後生まれの前原氏が民主党代表となり、「仲間」を集めて執
行部をつくり、理念先行型の党運営を行おうとして躓いた。他山の石とすべし、だろ
うが「テレビ政治」に足をすくわれる心配は、安倍政権の場合にはずっと少ないだろ
う。田中政治の「分配・調整」型でもなく、小泉政治の「対決型」でもない、権力を
めぐる戦後世代のマネジメント能力が本格的に問われる。

 官邸主導が制度化されるということは、議院内閣制の前提である内閣与党一体が
「当然の日常」となることを意味する。言い換えれば、「抵抗勢力」に代表されるよ
うな与党内の対立劇が、政治ドラマの主役から退場することになる。(観客民主主義
からすれば「政治がおもしろくなくなる」。)
 そこで二つのことを指摘したい。

 一つ目は、党内対立から政党間対立へと、政治の焦点が移っていくべきだというこ
と。与党内対立が主役となることで、これまで脇役に追いやられていた野党の出番と
なる。十月の補選、来年の統一地方選、参院選を通じて「二大政党」の枠組みを再び
リアリティーあるものにすることができるかどうか。参院選に起死回生をかける民主
党・小沢代表の問題設定は、ここに一定程度符号している。それを「小沢頼み」では
なく、組織的結束力としてどこまで発揮できるのかが、民主党の課題だろう。

 同時に、政党間対立の中身である。与野党のあるべき対立は、与党は内閣の政策に
責任を持ち、野党はそれを徹底的に検証する、というものである。現状分析、問題設
定が違うのか、そこが同じでも優先順位が違うのか等、「論難」ではなく「討論」の
あるべき姿に、どこまで近づくのか。与党が、実現もしていない野党の政策を批判す
る、というようなことでは「論難」のレベルだし、スキャンダル合戦のようなことを
やれば、政治不信の泥沼で自滅することになる。

 ただしここには大きな問題がある。党内対立から政党間対立へ、政権を争う二大政
党の政党配置へ、という方向性は明らかであるが、足元では「マニフェスト『以前』
問題」(政党の紀律化ができていない)が依然として残っているのも事実である。与
党の場合には、曲がりなりにも官邸主導の制度化と政権運営として、日々この問題に
具体的に対処せざるをえないが、野党の場合は与党を上回る工夫が必要なはずであ
る。

 主権者運動の問題設定からいえば、それを既存政党に期待するのは、そもそも「な
いものねだり」であって、そのこと自体が独立変数たりえない(既存政党の従属変数
でしかない)ことを意味する。「マニフェスト『以前』問題」とは、政党の側で言え
ば、マニフェストによる紀律化がまるでできていない、ということであるが、有権者
の側では「政治を『面白いもの』として消費する」観客民主主義の問題である。既存
政党に「ないものねだり」をするヒマがあれば、有権者として「観客民主主義から脱
却する」ための工夫をひとつでもしよう―これが主権者運動というものだろう。

 自治の現場には、そのための材料も人の縁も、その気になれば見出せる(「日本再
生」329号の各報告を参照)。国民主権の共有地を耕す活動を、まず始めよう。それ
にどう対応するのか、ここから既存政党を検証しようということだ。「主権は国民に
存する」、「有権者の一票が政権のあり方を決める」、「たかが一票、されど一票」
ということを、観客民主主義の余地を残したままでも「分ったふり」ができる、とい
う空間は本当になくなる。

 二点目は、内閣与党一体が当然の日常になるということは、「強い首相」が当たり
前になるということだ(待鳥聡史「中央公論」10月号参照)。小泉総理は、抵抗勢力
の存在とその個性とがあいまって、トップダウン・対決型の色合いが強かったが、安
倍総理の場合にはホワイトハウス型のチームプレーを目指すのであろう。その場合で
も、経済財政政策(消費税、社会保障費負担など)にしろ、安全保障(沖縄基地問
題)にしろ、小泉政権が先送りした、国民負担をともなう難しい問題について、最終
的な決定は総理が下すことになる。

 「強い首相」とは、誰によって、どのような決定が行われたのかが見える、という
ことであり、政治決定に対して首相と内閣の責任が明確になるということである。こ
のように「権力と責任の関係が明確になることは〜中略〜有権者にとって決して悪い
話ではない」(前出・待鳥氏)。それは、「イメージで支持」「政策は期待しない
が、政権は支持」という観客民主主義の気分、無責任な無党派心情を、有権者自身が
「卒業」していくための足がかりとなりうるからである。

 田中政治(依存と分配)に対する「破壊と清算」としての小泉政治は幕を閉じた。
劇場型政治・観客民主主義から、「あろうべき国民主権の政治」へ向かうための
「次」の舞台を準備する―これが安倍政権をめぐる攻防の政治性格である。安倍政権
はまず「官邸主導を個人技からチームプレーへ」として、最初の一手を打った。小沢
・民主党は、小泉政治の下で脇役に追いやられていた政党間対立を政治の主役にすべ
く、体制をとろうとしている。これら既存政党は、独立変数としての主権者運動が自
らの持ち場で国民主権の共有地を耕すことに対して、どういう対応をとるのか(協働
する、利害を共有する、食い散らす、かすりもしないetc)。ここから既存政党との
距離感を測っていこう。


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□総会報告「議会改革とローカルマニフェスト」
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□一灯照隅
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□インタビュー
「小沢民主党と安倍自民党の対立を鮮明にしていく」
達増拓也 衆議院議員
「議会改革」
江田健治 千葉県白井市会議長 

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石津美知子 ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp
 「がんばろう、日本!」国民協議会
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